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ときまき!

謎の創作集団による、狂気と混沌の執筆バトル。

ドグラ・マグラ考察、メタ構造と《私》の正体を暴く

魚崎とき 海鳥まき

とき台詞

アハハハハハ…………アハアハアハアハ…………アハハハハハハハハハハハハ……………。

 

まき台詞

ときちゃんが壊れた……。

 

とき台詞

夢野久作『ドグラ・マグラ』読んだでー!!

三大奇書やら「読むと気が狂う」やら言われとうけど、ふっつーに面白いエンターテイメント・ミステリーやったで!!

こっから先はネタバレ全開、ネタバレ前提で記事を書いていくから注意やで!!

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

 
ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)

 

 

最大の本題《私》とは誰か???

呉一郎を誰が罠に嵌めたか――ちうのはもはやこの期に及んではどうでも良い。

最大の問題は、本作主人公の《私》とは誰ぞやということである。

結論から述べると、否、結論は元から存在せぬのだが、少なくとも私のなかでの私に関する結論については朧げながらも答えが見えたので、それを先に示しておきたい。

つまり、私とは私である。そう、私=私なのだ。

エッ……訳が理解らないって……ウーン……ウーン、ここから先に進んでもらえないのなら困った、困った。

分かりやすく説明すると、『本作主人公の《私》が、ドグラ・マグラを今この瞬間に読んでいる読者である《私》』であると仮定するならば、本作の謎は比較的容易く解けるのではないかと思われる。

「主人公の私」と「読者の私」がイコールで結ばれる。決して珍しい話でもなく、ほら、例えば二人称小説なんて典型的な読者巻き込み型の文体であるし、あるいはドイツ児童文学のファンタージエン国の話なんかもメタフィクションとしては有名である。

ドグラ・マグラにおいても、読者の私=作中の私とメタ構造で考えるとなるほど納得、腑に落ちるところが多いのである。

今この文章を読んでいるあなた方も終いには、「ナアンダ、ソンナコトカ」と、拍子抜けして咳一咳してホッと胸を撫で下ろすはずだから安心してくれ給え。

1.離魂病=読書中の夢遊体験

正木博士の発した「離魂病」なる言葉を今一度考えなおしてみると、この奇妙な単語はどうやら読書中に我々がしている体験と非常によく似ていることが察せられることと思う。

「ウンウン。迷う筈だよ。……君は昔から物の本に載っている、有名な離魂病というのに罹かかっているのだからね……」

「……いいかい……この事件で差当り一番不思議に思えるところは、君とソックリの人間がモウ一人居る事であろう。そのモウ一人の君自身のお蔭で、スッカリ事件がコグラカッてしまっている訳だろう。しかも、それは君の離魂病のせいだっていう事をツイ今しがた、説明して聞かせたばかりのところじゃないか」

 引用『ドグラ・マグラ』夢野久作 著(以下同じ)

 話をややこしくしているのは、後半部分で「私=呉一郎」の図式がはっきりしようとしたところで、もうひとりの呉一郎の幻影が現れ、結局のところ呉一郎と私が同一人物なのか別人なのかがこんがらがってはぐらかされてしまう処だと思う。

本書を素直に読むのならば、

「大正十五年の十月十九日の開放治療上の過去の記憶である《呉一郎》を幻視している十月二十日に正木博士と対面している《呉一郎》を幻覚している十一月二十日の若林博士の手で実験させられている《呉一郎》による夢遊状態を幾ヶ月も繰り返している精神病患者である《呉一郎》から受け継がれた心理遺伝による悪夢を見ている《胎児》」こそが私であると推測されるのだが、これではあまりにも捻くれ過ぎている。

それに、私が仮に『精神異常から回復していない呉一郎』あるいは『呉一郎の心理遺伝を受け継いだ胎児』であるとするならば、幾つかの台詞に矛盾が生じる。

「ナニ。君が今の通りのたしかな気持ちで『俺はどんなに間違っても呉一郎じゃないぞ』という確信を以て聞けば、別に大した骨の折れる約束ではないと思うが……つまり吾輩はこれから呉一郎の心理遺伝事件について、ドンドコドンのドン詰まで突込んだ、ステキな話を進めるつもりだが、その話の内容が、どんなに怖ろしい……又は……あり得べからざる事であろうとも我慢してお終しまいまで聞くか」

※(太線はわかりやすくするために編集を加えたもの、以下同じ)

若林博士が《私》を呉一郎と認めさせようと企むのに対し、正木博士は《私》と呉一郎との間にある等号を打ち壊そうと努力している。私が呉一郎であるとするならば話は簡単なのだが、そうでないから難しいのであり、そうでないことに意味があるのだとすれば…………。

「……たとい理屈がどうなっていようとも自分自身を呉一郎と思う事は絶対に出来ない……」

私が微塵たりとも記憶を取り戻せず、また記憶の蘇る兆しが一向に見られないのは、私がこの小説セカイに夢遊してきた読者だからと考えると至極当然となる。つまり、私に「自己投影」している私は姿形は呉一郎とそっくりなのであるが、そのセカイでの記憶がもともと存在しないのだから思い出せるはずもなし。

あるいは「私=胎児」と見るならば、生まれる前の胎児に記憶があるはずなかろうという帰結に至る。

「……出来ないと云うんだろう。ところが出来るから奇妙なんだ。クドイようだがモウ一度断っておく。吾々が住んでいる、この世界は現代の所謂いわゆる、唯物科学の原則ばかりで支配されているんじゃないんだよ。同時に唯心科学……即ち精神科学の原則によって何から何まで支配されている事を肝に銘じて記憶していないと、この事件の真相はわからないよ。……早い話が純客観式唯物科学の眼で見るとこの世界は長さと、幅と、高さの三つを掛け合わせた三次元の世界に過ぎないんだが、純主観式精神科学の感ずる世界は、その上に更に『認識』もしくは『時間』を掛け合わせた四次元もしくは五次元の世界が現在吾々の住んでいる世界なんだ。その高次元の精神科学の世界で行われている法則は、唯物世界の法則とは全然正反対と云ってもいい位違うのだ。その不可思議な法則の活躍状態は、既に今まで君がこの部屋で見たり聞いたりして来た話だけでも、十分に察しられるだろう。……その中からこの事件の解決の鍵を探し出せばいいのだ。……否……この事件の鍵は、もうトックの昔に、君のポケットに落ち込んでいる筈だがね。ツイ今しがた慥たしかにその鍵を君の手に渡した事を、吾輩はハッキリと記憶しているのだがね」
「……そ……それはドンナ鍵……」
「離魂病の話さ」
「離魂病……離魂病がどうしたんですか」

この正木博士の台詞こそが非常にメタフィクション的であり、離遊病が読書行為そのものであることを示唆しているように思えて仕方がない。

ドグラ・マグラのセカイにやってきた読者である私は記憶のないところから始まり、その読者に対して正木博士と若林博士が奇怪なトリックを用いて私に一杯食わせようとしているのであれば――。

2.心理遺伝と創作人物

本作の根幹たる思想「心理遺伝」について、これが結構な似非科学っぽいので読むのが嫌になったという人もいるだろうと思う。

たしかに、地球創世の原始生物~人類の記憶すべてを細胞のひとつひとつが記憶していて、その「前世の運命」が心理遺伝によって受け継がれ発作が起こるというのは、いかにもオカルトすぎて興醒めするところがある。

もちろん、書かれた当時まだ1935年(昭和10年)と、DNAがどんな役割を果たしているかもよく分かっていなかった時代なので、目を瞑るとしても。

あるいは、精神疾患の遺伝に関する研究や、遺伝子と犯罪率や、或いは進化心理学、自由意志に関する実験、云々、現代科学の進展により『心理遺伝』が必ずしも大きく的を外したものではないとも云えるのであるが。

サテサテ、考察記事を書いていて自分でも何が何やら分からなくなってしまった。

ここで言いたいのは、ドグラ・マグラのセカイでの『心理遺伝』が小説の創作セカイを支配する法則である、と仮定して読むと、比較的納得しやすくなるものである、ということである。

小説作中の人物は、云うまでもなく創作者たる筆者から生み出されるものである。産み出されるものである。創作者のなかにある胎児が目覚めて成長した結果、小説セカイの人間へとなるわけである。

と、なると、小説のキャラというのは皆ひとつの母体、創作者の意識無意識の記憶から産み出されたわけで、あのキャラは著者が現実で失恋したあの人をモデルにしたのさ、とか、あのキャラは著者の心に抑圧された劣等感の塊から誕生したのさ、とか。

つまり小説の人物は、創作者の心理遺伝から生まれる道理ではないのか。

「ハッハッハッ。こいつは面白いな、遠慮なく乗り移るがいい。しかしマンマと首尾よく乗り移れたらお手拍子喝采どころじゃない。吾輩の精神科学の研究は全部遣り直しだよ。魂が『乗り移る』とか『取り憑つく』とか『生れ変る』とかいう事実は、その本人の『心理遺伝』の作用以外の何ものでもないというのが、吾輩の学説の中でも、最重要な一箇条になっているんだからね。……フン……」

 この『本人』とは、創作者を指すのではないか。《私》は読者であるのだから、たとえ魂だけの存在であっても作中の人物に憑依することは叶わない。

また、無理やりメタフィクションにしなくとも、「創作者=神」という構造を持ち出せば、このメタ構造は現実にさえ当てはまる。

 

 

………………あれ、……………………おかしい……………………

書いているうちに訳が分からなくなってきた。

読み終わった直後はあれほど明瞭だったInspirationが頭のなかに霧がかかったように霞んでゆき、私はまた迷宮に放り出される。

 

………………………………、もう一度読み直すか……。

アハハハハハハハハハハハハ………………アハハハハハハハハハハハハ………………

 

 

【未完】

再読のち、何か分かれば記事、加筆修正します。

擱筆御免。

 

※追記

ヤッ……わかった!!!!

今度こそ真実のしっぽを捕まえたぞ。

どうして気が付かなかったのだ、ドグラ・マグラは矢張り純粋なミステリーだったのだ。

結論から言うぞ。

《私》=呉モヨ子に宿った胎児である。

これでもう絶対に辻褄が合う、符合が揃った。

そもそも、私=胎児説では、胎児に呉一郎の心理遺伝が継がれなければならないのだが、心理遺伝に血筋が関係する以上、絶滅寸前にある呉家の跡継ぎ足り得るのは生き残った六号室の美少女、呉モヨ子の赤子以外にはあり得ぬはずではないか。

だとすると、以下の台詞の意味が理解されてくる。

「ああ、雑作ない事なんだ。しかも理窟は小学生にでもわかる位で、吾輩の説明なぞ一言も加えないでいい。唯、君が或る処へ行って、或る人間とピッタリ握手するだけでいいのだ。そうするとそこに吾輩が予期している、或る素晴しい精神科学の作用が電光の如く閃きらめき起って……オヤッ……そうだったかッ……俺はこんな人間だったのかッ……と思うと同時に、今度こそホントウに気絶するかも知れぬ。もしかすると、まだ握手しないうちに、その作用が起るかも知れないがね」

この正木博士の言う『或る人間』とは呉モヨ子のことである。そして『或る処』とは、母体から産み出された現実世界のことを指す。と仮定しよう。

即ち、悪夢から醒め、現実に生を受けた胎児が実の母と握手を交わす。すると『自分が何者だったのか』が瞬く間にひらめくのは当然のことである。

六号室の少女である《呉モヨ子》と私が出会っても、何も記憶が作用されなかったのは『現実世界』での邂逅ではなかったからだ。

(前略)……今のうちは、お解りにならぬ方が宜しいと思います。こう申上げては失礼ですが、いずれ貴方が、御自身の過去の記憶を、残りなく回復されました暁には、その『胎児の夢』と題する恐怖映画の主人公が何人なんぴとであるかというような裏面の消息を、明らかにお察しになる事と存じますから、その時の御参考のために、特にこの際御注意を促しておきます次第で御座います。 (後略)

序盤の、若林博士のこの台詞、そのまさしく『胎児の夢』と題する恐怖映画の主人公こそが《私》ではないのか…?

呉一郎と私の関係性

「双生児ふたごよりもモット密接な関係を持っているのだ。……無論他人の空似でもない」

この台詞のあとに離魂病の話が出てくるからややこしくなるが、私が《将来呉一郎の子となる魂》であるとするならば、ある意味で双子よりも密接な関係となると云えなくもない。

(前略)君の方ではあの少女に恋なぞされるのは迷惑かも知れないが、まあ任せ給え。君があの少女を恋しているいないに拘わらず運命に任せ給え。そうしてその運命の結論をつけるべく、あらわれて来た君の頭の痛みと、あの少女とがドンナ関係に於て結ばれているかという話を聞き給え……少々取り合せが変テコだが。……そいつを聞いて行くうちには、法律と道徳のドッチから見ても、君とあの少女とは、或る運命の一直線上に向い合って立っていることがわかるからね。この病院を出ると同時に結婚しなければならぬ事が、一切の矛盾や不可思議が解けるにつれて、逐一判明して来るからね(後略)

正木博士の言うところの「私と少女が結婚しなければならぬ」という理論はよく理解らないのだが、ただパラドックス的に「呉一郎とモヨ子が結婚しないのであれば胎児は産まれない」というものであるとしたら。

胎児の私と、母モヨ子とが運命の一直線上にあるのは道理。

それにしても、正木博士は「いまにわかる、いまにわかる」と言いながら、ちっともわかるようなご説明をしてくださらない。

その他、伏線

呉一郎が、精神鑑定に立ち会った若林博士と正木博士両名を「……知っています。僕のお父さんです」と言って正木を笑わせたのも、相当に皮肉的な伏線だった。

なにせ若林も正木も呉一郎の母と関係しており、ふたりとも本当に父親かも知れぬのだから。

 

 

…………ウーン…………やっぱり解らなくなってきた…………

また何か気がつけば加筆修正します。

擱筆御免。

 

ドグラ・マグラが好きな人におすすめの現代ホラー小説
バイロケーション (角川ホラー文庫)

バイロケーション (角川ホラー文庫)

 

小説賞応募時の原題は「同時両所存在に見るゾンビ的哲学考」

《たとえ》を《仮令》と漢字で記載するなど、もしかすると夢野久作にも影響を受けていそうな雰囲気が感じ取れる。ドッペルゲンガーを題材としたホラー小説で《私と、もうひとりの私》を軸に物語が進む。最近読んだ小説のなかでは面白かった。

(了)

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