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ときまき!

謎の創作集団による、狂気と混沌の執筆バトル。

リクガメを動物病院に連れて行った話

  飼っているリクガメの、上のクチバシがたいそう伸びていた。小松菜を食べさせてみると、伸びたクチバシが葉っぱを押し戻してうまく噛みつけないようだ。必死で口をパクパクとさせる。クチバシが邪魔をして、葉っぱを口の中に入れることができない。

 ロッシー(カメの名前)を動物病院に連れて行かねばと思った。病院に電話をかける。昔、ロッシーが風邪を引いたときにもお世話になった。

「ええ、大丈夫ですよ。では明日の朝お越しください」

リクガメの嘴

(写真:伸びたクチバシ ※野生下のリクガメは、地面に生えている野草を食い千切ったりする過程で自然にクチバシが摩耗するそうだ。飼育下だとクチバシやツメが過伸長しやすい)

  朝、まだ眠そうにしているロッシーを抱え上げて、体がすっぽり入るくらいのダンボール箱に入れた。底には新聞紙を敷き詰めてある。揺れた拍子に頭などをぶつけないよう、丸めた新聞紙も入れてやんわりとクッションを作っておく。ロッシーは外に出ようとして箱をガリガリと引っ掻いていた。リクガメは感情のわかりづらい生き物だが、十年も共に過ごしていると以心伝心で気持ちが通じる。ロッシーはとても不機嫌なのだった。

  朝九時、駐車場に車を停めた。ダンボール箱を両手に抱えて、動物病院の自動ドアをくぐる。待合室にはすでに、犬が七匹と、その飼い主さんが座っていた。犬たちはおとなしい。

【ロシアリクガメ:ロッシーちゃん♀ 12才☆ 毛色:―】と書かれた診察券を受付のボックスに入れて、私も椅子に座った。

  ロッシーは箱のなかで暴れていた。フタを開けてみると、なかで糞や尿をあらかた排泄してしまっていたようだ。私は汚れた新聞紙をポリ袋のなかに入れて、カバンから取り出した替えの新聞紙をダンボールの底に敷いた。

「わぁ、カメさんですかぁ」

 隣席の飼育者さんが興味津々で箱を覗く。

「はいリクガメで、以前は風邪で連れてきたのですが」「カメも風邪をひくんですねぇ。うちの子は予防接種で……」みたいな世間話を。リクガメは体の構造上、風邪を引いても咳やくしゃみができない。だから肺炎に移行して悪化しやすく、風邪といえども死に直結する恐ろしい病である。飼育者さんの連れているヨークシャテリアはこわばった表情で、ガリガリと音を発する奇妙な箱を見上げていた。

  名前を呼ばれ、私とロッシーは診察室に入る。診察台のうえにダンボール箱を置く。診察台には体重計機能があり、乗せるだけで動物の重さが測れるそうだ。緊急用だろうか、心臓に電気ショックを与えるための装置?が、台からぶら下がっていた。

 診察室の奥のドアが開く。獣医さんと動物看護師の方が入ってきて、私は軽くお辞儀をする。

 獣医さんは立派な黒ひげを生やした背の高いおじさんで、ハリーポッターの映画に出てくるハグリッドのような、優しい印象の人だった。看護師の方は好青年で、終始にこにこと微笑んでいた。

 獣医さんが箱から両手で取り出すと、さっきまで暴れていたロッシーは心底驚いたようで、顔と手と足を甲羅のなかにぴったりと仕舞い込んでしまった。完全なる防御形態である。数年前に風邪で連れてきたときは、抗生物質の注射を何本か打ってもらった。(前足の付け根あたりに注射針を刺すのだ)リクガメの記憶力は分からない。あのときの恐怖を覚えていたのかもしれない。

 リクガメの顔と手足がすべて甲羅に引っ込む姿は、飼育下では滅多に見ない。寝るときでさえ、カメは後ろ足をだらーんと伸ばしていたりする。

リクガメの昼寝

(写真:昼寝中のロッシー)

  獣医さんは胸にかけていた聴診器をロッシーの腹甲(おなか)に当てる。しばらくして、ロッシーの鼻の先を自分の耳に近づけて、目を瞑ってじっと音に集中をする。その間ロッシーは甲羅に引っ込んだまま微動だにせず、本当に石ころか何かになってしまったみたいだった。

「ああ、呼吸音は大丈夫ですね」

 獣医さんが言った。前回のカルテが残っていて、秋なので風邪を引いていないか心配してくれていた。私はほっとして、例のクチバシが伸びすぎている件について相談する。

 「なるほど診てみましょうか」

 と獣医さんが顔を覗き込もうとするが、完全に甲羅のなかに引っ込んでいて、おまけに顔は前足でがっちりとガードされている。クチバシの先すらも見えなかった。看護師さんがロッシーを後ろから両手で支えて、獣医さんが正面からゆっくり前足を横に引っ張る。ロッシーは必死で抵抗していて、意地でも顔を出さないつもりだ。

 「あはは、これは難しいかな」

 獣医さんは苦笑いしていて、私の方はなぜか緊張でドキドキしていた。

 そんなこんなで一悶着あり、やはりクチバシはカットした方が良いだろうという話になった。深見さんはここで待っていてくださいね、と言われ、ロッシーはそのまま抱えられて治療室に連れて行かれた。診察室の奥の扉が治療室に通じており、飼育者は入れない。

リクガメの嘴その2

(治療前の写真。上側のクチバシがかなり伸びていて、突き出ている)

 ひとり診察室の椅子に座り、時間が過ぎるのを待つ。壁には、飼育者から贈られた年賀状やメッセージカード、犬の正しい抱き方のポスター、予防接種の案内などが貼られていた。奥の部屋から電動工具のような音、看護師たちが慌ただしそうに歩いている足音などが聞こえてくる。犬がか細い声でクーンと鳴いている。リクガメは、鳴き声を出すことができないので、手術室でただひたすら声を押し殺して耐えている姿を想像すると、私はなんだか涙がこぼれてきそうになるのだった。

  私には何時間にも感じられたが十分ほど経った頃、獣医さんがロッシーを抱えて戻ってきた。ロッシーは相変わらず甲羅に引き篭もっていたけれども、クチバシはたしかに綺麗に切りそろえられて短くなっていた。

「二ミリほど削りました。まだ長いですが、これ以上切ると出血リスクもありますし。もしまだ餌が食べにくいようであれば連絡してください」

 私は獣医さんと看護師さんに深くお礼を述べて、診察室を出た。

嘴を削ったリクガメ

(治療後の写真。クチバシはまだ長いが、以前よりかは短くなっている)

  ロッシーは段ボール箱のなかで音一つ立てずじっとしている。

 会計は七六〇円だった。前回の風邪治療のときは、トータルで一万円近くした(もちろん医療保険はきかない)ので覚悟していたのだが、安くて驚いた。良心的な価格といえた。

  家に帰り、ロッシーを庭に放す。目の前にサラダ菜を置くと、ロッシーはやっと甲羅から頭を伸ばして、何事もなかったかのように葉っぱにかぶりついた。

リクガメとサラダ菜

 (おわり)

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