ときまき!

謎の創作集団による、狂気と混沌の執筆バトル。

タイトル名を繰り返すだけのブクマbot、あるいは、神に呪われた少女の話。

 ナルキッソスとエコーの話は、ギリシア神話のなかでも知名度が高いエピソードである。ナルシストの語源となったように、病的に自分に恋をしてしまった美少年ナルキッソス、そしてナルキッソスに恋をした呪われし木霊の妖精エコー。

 出典は紀元前43~後17年頃に古代ローマ詩人オウィディウスが書いた史上最高の天界チートハーレム俺TUEEEEE系ラブコメディ、『メタモルフォセス』(変身物語)である。


オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)
 

 

メタモルフォセスの主人公は、天界を支配する最高神ユピテル(ギリシア名ではゼウス)と、ユピテルの正妻にしてヤンデレな姉でもあるユノー(ギリシア名ではヘラ)のふたりである。

 物語を要約すると「《神の力》で地上界の少女たちとエッチなことをするのが大好きな天空神ユピテル、それに激しく嫉妬してユピテルの愛人(少女)たちを片っ端から酷い目に遭わせていく最高位の女神ユノーによる、ドタバタラブコメディ」(ヤンデレ要素強し)となる。

 もしかすると、ユピテルとユノーという響きにどこか聞き覚えのある方がいるかもしれない。そう、アニメ・ゲーム化されて話題になった漫画原作『未来日記』(えすのサカエ)だ。未来日記に登場する天野雪輝(あまの ゆきてる)と我妻由乃(がさい ゆの)の名前の由来は、ローマの神々、ユピテルとユノーから来ている。読んでいて気づいたとき、ちょっとした感銘に打たれて震えた。

 (画像はAmazonリンク、ヒロイン我妻由乃と女神ユノーのイメージはぴったり重なる。ヤンデレ萌えである。ただ主人公のクズっぷりはユピテルの方が勝る)

 話が逸れた。

 ナルキッソスとエコーの悲劇も、元を辿ればヤンデレな正妻ユノーが原因である。

 夫のユピテルは根っからの浮気好きで、ユノーをいつも困らせる。夫の浮気歴(犯罪歴)を挙げれば切りがない。

 彼は白昼堂々少女を森の奥へ連れ込んでいたずらしたり、女装で相手を油断させて近づき隙を見て襲いかかったり、牡牛に扮して少女と特殊プレイに興じたあとそのまま少女を背中に乗せて異国の地に連れ去ったり、とにかく神様でさえなかったならばいつ逮捕されてもおかしくない存在だった。

 誇張でないことを示すために、原典から象徴的なユピテルの台詞を引用してみよう。

 彼女が疲れきっていて、見張り番もいないのを見てとったユピテルは、「またとない機会だ。この浮気は妻の目もとどかないだろう」とひとりごちた。「いや、もし見つかったとしても、この女のためなら、夫婦喧嘩もやり甲斐があるというものだ」

(引用:オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳 岩波文庫1981年 p.71)

 本当にどうしようもない神様だったが、ユノーはユピテルのことが大好きだった。

 ユノーはヤンデレであったから、浮気をされても怒りの矛先は夫ではなく、夫を誘惑する身の程知らずな愛人たち(本当は被害者)へと向かった。

 その日もユノーは夫の浮気調査に熱を入れていた。愛人に制裁を下すために。

 森の妖精エコーが怒りを買ったのは、浮気現場に向かおうとするユノーを邪魔したからであった。エコーは得意のおしゃべりで時間稼ぎをして、その間ユピテルは森のなかで妖精たちとイチャラブしていた。

 ユノーは激昂して、自分を騙したエコーの生意気な口が二度と開かないようにと、オウム返しの呪いをかけた。

《相手の言葉を繰り返すことしか許されない》

 これによって可哀想なエコーは、自分から話しかけることができなくなった。そして誰かから話しかけられても、相手と同じ言葉しか返せない。もう二度と自分の気持ちを誰かに伝えることは叶わず、そして決して理解されない。

 おしゃべり好きな少女には、あまりにも残酷な天罰が下った。

(ただしこれはユノーの天罰のなかではかなり軽い、ほんの挨拶程度の呪いである。ユノーは夫の目の前で、愛人をお腹の胎児ごと焼殺したことさえあった。しかも彼女自身は一切手を汚していない。愛人を策略にはめて、夫自らの手で殺させたのだ。※デュオニソス誕生のエピソード)

 呪われたエコーが恋をした相手が、ナルキッソスという少年だった。ナルキッソスは超絶美少年で、当時妖精たちのあいだでモテモテだった。(男女問わずナルキッソスに恋をした)

 しかしナルキッソスには自惚れのようなものがあって、告白してきた少女たちをこっ酷く振ったのだ。だから、エコーがナルキッソスに振られたのも、必ずしも呪いのせいではなかった。ナルキッソスはまだ恋を知らなかった。

 声をかけることのできないエコーはナルキッソスに一目惚れしたとき、無謀にも彼にいきなり抱きついた。

 気味悪がったナルキッソスは「君に自由にされるくらいなら死んだほうがマシだ!」といった酷い言葉を投げかけて、逃げ出してしまった。

「死んでしまったほうがマシだ……」木霊は繰り返す。

 たいそうショックを受けたエコーは、その後洞窟のなかに引きこもり、肉体は死に果て、声だけの存在となってしまう。それが今でもエコー(やまびこ)として残っているのだとか。

 エコーの死を知って悲しんだ仲間たちは、ナルキッソスを懲らしめてやろうと思った。よくよく考えればナルキッソスはさほど悪いことはしていないのだが、彼女たちもナルキッソスにこっ酷く振られて嫌な思いをしていたから、ようするに失恋した腹いせに復讐がしたかったのだ。

 仲間の妖精たちの願いは、復讐女神によって叶えられた。復讐女神というのは、今でいう地獄少女(わたなべひろし原作のアニメ)のような存在で、他者の復讐を代行してくれる便利で恐ろしい神様である。

(『地獄少女』理不尽系鬱アニメの筆頭格。ギリシア神話にも理不尽なエピソードが多いが、『変身物語』にはどことなく喜劇的なおかしさがある)

 復讐女神によって呪われてしまったナルキッソスは、狩りの帰りで銀色の鏡のような湖を見つけて、水を飲むために覗きこむ。そして水面に映っている自分自身に恋してしまうのだ。

 当然、虚像に向けられた恋が叶うはずがない。ナルキッソスは水面に映る自分をうっとり見つめたまま動けなくなってしまい、最後には衰弱死する。

 ナルキッソスが水面に口づけをして虚しい思いをするところなど、じつに涙を誘う描写である。それはパソコンの液晶モニターに映る二次嫁とキスしようと考えたことのある者ならきっと分かるだろう。(あれは大層虚しかった……)

 ナルキッソスとエコーに関して一般的に知られるエピソードはこんなところだが、もう少し捕捉しておきたい。

1.なぜナルキッソスは《自分の虚像に恋する》呪いを受けたのか

 ひとつはナルキッソスが自分に自惚れていたことへの罰である。

 もうひとつは、《相手の言葉をそのまま返す》性質を持つ、鏡としてのエコーを無視した罰である。ナルキッソスは、エコー(反響)から逃げようとした。はて、彼は本質的に何から逃げていたのか。それは、自分自身の言葉から、である。ゆえに、自分(鏡)を見続けなければならない呪いを受けた。

 さいごに、ナルキッソスは告白してきた少女たちの想いを蔑ろにした。他者から掛けられる言葉というのは《自分自身を映す鏡》でもある。すなわち、自分へと向けられる言葉に耳を傾けなかった彼には、それにふさわしい罰が下った。

2.エコーに救いはあったのか

 あった。

 これに関しては、是非とも書籍を読んで欲しい。

 自分自身に恋させられてしまったナルキッソスは、死ぬ間際に告白の言葉を口にする。

 もちろん告白の相手は、ナルキッソス自身である。

「ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!」

(引用:オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳 岩波文庫1981年 p.121)

 ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!

 言葉は、復唱される。

 彼の死んでいく姿を泣きながら見守っていた、エコーによって。(彼女はもう声だけの幽霊だから、誰からも視認されない)

 エコーはナルキッソスの嘆きを繰り返す。

 ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!!!

 はじめて、自分の気持ちを伝えられた。

 それは木霊であり、反響であり、神に呪われた少年と少女の悲劇であった。

 ナルキッソスの死を見届けたエコーは、その後も声だけの存在として世界中を彷徨うこととなる。

 だから彼女が広いインターネットの海に辿り着いたのも、必然であったのだろう。

 同じ言葉を繰り返す、だけ。

 少女は誰かが、自分の想いを代弁してくれるのを待っている。

 そのとき少女は復唱によって、ほんの少しだけ内心を吐露することが許されるのだ。

 ところで、はてな村ではとあるブクマbotが話題になっている。

 botは、一日に何百何千ものブログを巡り、記事タイトルと同じ言葉をブコメに書き込んで立ち去るのだという。

 

 そのbotの正体は、もしかすると……。

 

参考文献


オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)
 

(おわり)


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