ときまき!

謎の創作集団による、狂気と混沌の執筆バトル。

誰かが私を変えてくれるのを待っている

 今月はあと六万文字書かなければ〆切に間に合わない。急がなければと思っているのに、筆が進まない。進捗が硬直している。パソコンの画面を見つめる私は、まるでメデューサの眼光に当てられた石像のように動けない。いやいや、今の比喩はよろしくない。レトリックには、必然性がなくては。格好をつけるために意味もなくいい加減な比喩を使うと、逆効果だ。料理の調味料は、少ない分には薄味でまだ食べられるが、多過ぎると全体を駄目にしてとても食えなくなる。過ぎたるは及ばざるが如し、なのだ。あ、また余計な比喩で説明してしまった。ぽかぽか、いけない奴め。

 などと悪戦苦闘して、本当に書けない。思考が止まってしまった。頭からは、ぽわわ~~~んという気の抜けた擬音語が蒸発している。ぼんやりしてきて、何もかもがどうでもよくなってしまう。

 原稿進まない。集中力がもたない。とりとめもなくネットサーフィンをして、気がつけば何時間も経っている。最近は増田(はてな匿名ダイアリーの俗称)ウォッチが日課だ。注目されそうな増田にブックマして気の利いた大喜利コメントを書いて星を集めたりすると、なんだか昔スーパーマリオで必死になってコインを全部取ってやろう頑張っていた子供時代を思い出す。いいよね、はてなスター。夜道でふと顔を上げて、星々が輝いているのを見ると「わあい、はてなスターだぁ」と思ってしまって、いよいよはてな中毒を発症している。

 増田は書くのも好きで、自慢だが(自慢なのかな)こないだ100はてブ以上獲得してホッテントリ入りを果たした。たいてい、ホッテントリ入りしたエントリーには手斧が飛んでくるものだが、私の記事は思いのほか好評だったようで「増田大先生渾身の一作!」「これぞ増田文学の真骨頂!!」「軽快なレトリックに清々しい読後感」「いやはや、良いものを読ませてもらいました」「狂気と混沌に満ちた素晴らしい才能」「恐ろしい恐ろしい」「プリントアウトして出版社に持って行くべき」「良い記事ですね! シェアさせていただきます!」みたいな心あたたまるブコメで溢れていて、私は感極まって今にも昇天してしまいそうだった。(ブコメ半分くらい妄想ですすみませんでした)しかし、ネットというのは案外簡単に承認欲求が満たされてしまうので、承認欲求を満たすことを目的に書いていると、すぐに書けなくなってしまうと感じた。「満たされてしまった」ら「書けなくなる」。

【問】ところで数行前に『心あたたまる』と書いたが、漢字表記するならば『心温まる』『心暖まる』どちらが正しいだろうか。

「温まる」は、モノの温度について述べるときに用いる。料理を温める、とか、冷えた手を温めるとか。あるいは人の感情にも使えるので、温かい視線、温かいもてなし、温情など。

「暖まる」は、気温や気候について述べる印象が強い。ストーブで部屋を暖める、春は暖かい、暖かい色合いの壁紙、暖かい炬燵、云々。

 では、心の場合はどちらなのか。温かい心なのか、暖かい心なのか。

 調べてみると、どちらでも良かったらしい。うん、散々悩んだ挙句、解答を見たらどっちでもいいよ的な慣用句はわりと多くて、がっくりくる。

 小学館日本国語大辞典と広辞苑では「心暖まる」、明鏡国語辞典では「心温まる」だ。念のため青空文庫で小説家たちがどちらを選んでいるかを調べてみたが、どちらともあった。ちなみに日本語大シソーラス類語検索辞典によると「温まる心」は「あたたまる」ではなくて「ぬくまる」と読ませる場合もあるそうだ。

 そんなこんなで、豆しばとトリビアの泉もびっくりな雑学をリサーチしていたら、時計の短針が深夜零時に近づいていて肝心の原稿はちっとも進んでいなかった。

 はてなブログの新着エントリーのページでF5キーを連打してみても、はてなブックマークのランキングを行ったり来たりしてみても、ただ時間が過ぎゆくだけで、自分はこんなことをしている場合じゃないのにと理性は悲鳴をあげている。けれどネットサーフィンがやめられない止まらない。ああ、私は「本気をだすタイミング」を見つけ損なったんだなと思った。

 それから、ツイッターのタイムラインをどこまでも遡ってみたり、ニコニコ静画で漫画を読み漁ったり、外国為替のチャートを眺めたり、回転椅子でくるくる回ったり、ボールペンの芯を出したり引っ込めたり、新聞紙で折り鶴を作ってみたり、いろんなことをした。新聞紙の折り紙は傑作だったので玄関に飾った。ほんとうに、この忙しいときに自分は何をやっているのだろう。けれど無意味な行為がやめられない。時刻は深夜二時を回っていて「仕方ない、明日から頑張るか」と布団に入ってから(ああなんで今日も頑張れなかったのだろう)と激しく後悔する。

 他に為すべきことがたくさんあるときに、ネットサーフィンでぐだぐだと過越してしまう。けれど、きっと私は何らかの「情報」を求めてWebサイト巡りをしているはずなのだ。その「情報」さえ見つければ、私は新しい私に変われるはずなのだ。やる気と本気に満ち満ちた、私に。だからネットサーフィンがやめられない。

「シンデレラ・コンプレックスだね。キミはネットのなかに、自分を変えてくれる魔法使いのおばあさんをさがしているんだ」
 だねだね、と育てている観葉植物のパキラが言った。設定上は僕っ子のショタだが、育ちすぎてしまって背丈が1メートル近くになった彼は、かわいくない。
「誰かが《私》を変えてくれるのを待っているんだね」
 そうなのだろうか。
 誰かが、私を変えてくれるのを待っている。人でなくても構わない。自分が変われるきっかけさえあれば、それで。今この瞬間に、玄関のチャイムを宗教勧誘の人が鳴らして「あなたも○○教に入って人生を変えてみませんか」と囁いたなら、きっと私の心は揺れるだろう。
 シンデレラに限らない。誰にでも変身願望はある。ウルトラマンだって、仮面ライダーだって、最初から強いわけではない。「変身」で強くなる。変身ッ!というスイッチによって変わることが重要なのだ。変身願望が満たされることに大きな意味がある。
 私も変身したい。どこかに変身ベルト落ちてないかな。
 たった三分間だけでいい。自分が自分の思い浮かべる理想の姿へと変わり、本気で全力でその僅かな瞬間を生きることができたのならば、きっとその日は満足して眠りにつけるはずなのだ。

 私は砂時計をひっくり返した。

 

(終わり)


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