ときまきドッペル!

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『レトリック事典(佐藤信夫)』小説書きの辞書レビュー

レトリックを学問として勉強するのであれば、これが最強!と太鼓判を押せる事典がある。

今回は大修館書店より出版されている『レトリック事典』(佐藤信夫・佐々木健一・松尾大、執筆)をご紹介したい。※書名リンク先はAmazon

レトリック事典

(総ページ数は815頁)

販売価格が税込みだと7千円オーバーで、買うにはそれなりの思い切りが必要だった。内容は素晴らしいの一言に尽き、もはや文句をつけるのさえ畏れ多い。

これ程の分厚さであれば、国語辞書みたいな「必要な箇所だけ引く」タイプの辞書に思えるかもしれない。しかし本書はそうではなく「最初から最後まで全文読破する」タイプの辞書である。

レトリックを体系的に学べる専門書、と呼んだ方が妥当かもしれない。とにかく例文と解説が充実しており、相当にマニアックな領域にまで攻め込んでいる。

『レトリック事典』が役に立つ人、役に立たない人

残念ながらレトリック事典は決して、万人向けの書籍とは言えない。が、少なくとも7千円もするこの辞書を買おうかどうか迷っている時点で、読者対象には入っていると思う。

本書のメインターゲットはおそらく、修辞学・言語学を専攻する学生や研究者。それほどに専門性の高い内容を取り扱っている。私が仮に文学部の学生で「卒業研究は太宰治の文体分析をしてみたいなー」と考えたとすれば、論文を書く際には本書がめちゃくちゃ役立ったに違いない。

ただ、「小説がうまく書けるようになりたい!」といった目標がある場合に、それを叶えるのに本書が役立つかどうかは、正直なところ厳しいと言える。

というのも本書は「こうすれば名文が書ける!」的なノウハウ書とはまったく性質が異なる。あくまで、修辞技法への飽くなき知的好奇心を満たすための書であるからだ。

純粋に筆力向上を目的とするのであれば、それに合った文章術の本を買った方が良いかもしれない。

もしも本書に解説されるレトリック技術をそのまま自身の筆力向上に繋げられる人物がいるとすれば、それはもう並外れた努力の成果であるし、素晴らしい才能の持ち主であると言える。

(もちろん私はまだ、その領域には達せずにいる)

兎にも角にも、レトリック事典が読み物として面白いのは折り紙つきであるから、レトリックが好きな人にはもちろん、小説の文体研究にハマったことのある人には本書をおすすめしたい。

『レトリック事典』を読む前に読みたい入門書

もし「これからレトリックを勉強します!」という人がいれば、いきなり本書を手に取ると挫折する可能性が考え得る。

『レトリック事典』を読む前に、下記の入門書に目を通されることを勧めたい。

とくに最初に読む本として一押しなのが『日本語のレトリック―文章表現の技法(瀬戸賢一・著)』で、これは名著だと思う。岩波ジュニア新書なので子供向けの本かよ!と感じられるかもしれないが、レトリックについてものすごく分かりやすくまとまっている。本書の文章自体にレトリックが豊富に散りばめられており、内容も面白い。前書きだけでも読む価値がある。

レトリック感覚』の方は、このレトリック事典の企画・構成・執筆をされた佐藤信夫氏が著者であるので、副読本として合わせて読むと分かりやすいかもしれない。

レトリック感覚については、けいろーさんという方が素晴らしい書評をブログに書かれているので、下のレビュー記事をぜひ参考にしてほしい。

話が脱線してしまったが「合わせて読みたい本!」ということでご紹介させていただいた。

レトリック事典にはどんなことが書かれているの?

レトリック事典がどれほどに専門的な領域を扱っているか、一例を挙げると「換喩と提喩」の関係性についての考察が10ページにわたり、グループμの提喩原型説からニコラ・リュウェの提喩否定論に至るまでぎっしりと解説が続いている。

これだけだとなんじゃらほい?の話なので、もう少し分かりやすく。

まず「提喩(シネクドキ)」と「換喩(メトニミー)」という2つのレトリックがあり、これらは性質が一見してよく似ているがために、その関係性がたびたび議論された。提喩の下位に換喩があるのか、むしろ提喩が換喩の一種に過ぎないのか、はたまた両者は完全に別物と考えるべきなのか、説が分かれる。

「提喩(シネクドキ)」は私たちの日常にありふれた言葉のあやであり、もしも提喩が成立しない世界に行くと、そこはツイッターのクソリプ地獄のようなディストピアになってしまう。

例えば、春の天気の良い日に「せっかくだから今日はお花見に行きましょうか」と話しかけようものなら大変だ。

「いいですね、近所の公園にタンポポを見に行きましょう!」

「何言ってんだ、花と言ったらラフレシアだろ。植物園に行こうぜ!」

みたいな話になってしまう。

でもみんなは、お花見の花と言えば桜のことで、もっと言えば十中八九、ソメイヨシノを鑑賞することだと知っている。「花」という全体の【類】をもってして「サクラ」という特定の【種】を言い表す。

これが提喩と呼ばれるものである。

……といった話はもちろんレトリックの入門書にも書かれている事柄であるが、提喩のなかには換喩との区別が難しいタイプが存在する。

また別の例を出してみよう。

帰り道に会社の上司に呼び止められて「今日は飲みに行かないか!」と誘われたとする。

もし提喩の成立しない世界であれば、上司に連れて行かれる場所はじつはスターバックスで、カプチーノを一杯おごられる可能性も考えられる。あるいはマクドナルドへ行ってバニラシェイクを飲みに行くのだって全然オーケーだろう。

しかし現実世界において「飲みに行く」の一言からは、居酒屋でビールを飲むようなシチュエーションが想起される。

「飲む」という全体の【類】をもってして、(カプチーノでもなくバニラシェイクでもなく)「お酒を飲む」という特定の【種】が言い表される。ゆえに、これも提喩の一例である。

 

ところで、落語の演目のひとつである『五人廻し』には、「男の三道楽煩悩と言えば、飲む、打つ、買う……と昔から決まっている」みたいなフレーズが登場する。

ここでの「飲む」も先の例と同じく「お酒を飲むこと」を意味するから、これは提喩であるし、佐藤信夫氏自身も提喩の作例として収集した。

しかしレトリック事典の解説ではそこからさらに論を進め、これはたしかに提喩である『だが、われわれの規定に従えば、これはむしろ婉曲プラス短縮の換喩の典型的な事例である(引用:p.277)』と述べられている。

どういうこっちゃと思うが、例文の「飲む、打つ、買う」のフレーズはいずれもその目的語をあえて隠すことによって含みを持たせている。

それはもちろん「女を買うのが男の三道楽煩悩だ」とでも言ってみようものなら、今であればボコボコに叩かれて当然で、昔であっても面と向かって言えるような事柄ではなかろう。

ゆえにこれは短縮した「飲む、打つ、買う」の三語で、その動詞に隣接した「男の三道楽」を婉曲的に言い表している。換喩(メトニミー)的表現であると言える。

余談だが、セックスすることを「抱く」と表現するとき、これはまず提喩にカテゴライズされるが、やはり同様に、婉曲プラス短縮の換喩にもなり得る……と思われる(自信がない)。

 

話が長くなってしまった。レトリック事典では、上記のようなややこしい議論にも踏み込んで解説をしている。

ここまで読んで面白いな!と感じられた方はレトリック事典を買ってまず後悔はしないし、逆に(ここまでマニアックな話はついて行けんわ……)と感じられた方は手を出さない方が無難だと思われる。

レトリックは「正しい日本語」を身につけるためのものではない

ところで世の中には「日本語警察」なる人たちが存在する。

例えば彼らは、「やっとご飯が食べれる」とツイートしたら、「それは《ら抜き言葉》ですよ」と注意をしてきたり、あるいは「海に泳いだり、家で読書などして楽しかった」と感想を書いたら「並列助詞《たり》は反復して使わないといけません」と怒ってきたりする。

しかし、レトリックマニアであれば、違う捉え方をする。

誤用を見つけたとき、むしろ目をキラキラと輝かせて「面白い。これはどういう効果を狙った表現なんだ」と考える。レトリック事典においても「一般的には誤用だが言葉のあやとして成立し得る」ケースの事例が紹介されており、読んでいて興味深い。

あたりまえの表現に不思議を見いだし、おかしな表現に面白さを発見する。それがレトリックを学ぶことによって得られる、最大の効用である。

レトリックを愛するすべての人たちに、本書をおすすめしたい。

(了)

今回の紹介辞書

『レトリック事典』佐藤信夫(大修館書店)

(商品ページ:Amazon楽天ブックス

 

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