ときまき!

謎の創作集団による、狂気と混沌の執筆バトル。

【PR】拙作をサウンドノベルにしていただきました!

お久しぶりです。こちらのブログは10ヶ月ぶりの更新となりますが、生きてます!!!!!

このたび、拙作の短編小説『ホラー作家と悪魔の契約』をノベルチューブ(@Novel_Tube_)さんにサウンドノベルにしていただきました。

サウンドノベルはYouTubeチャンネル『ノベルチューブ』にて公開されています。

まだ開設されたばかりのチャンネルですが、コンテンツはこれからどんどん増えていくと思いますので、チャンネル登録いただけると私も嬉しいです。


【サウンドノベル】ホラー作家と悪魔の契約

 

ノベルチューブさんは

「有償・無償を問わず作品・素材を提供してくれるクリエイターさんを随時募集しています!」

とのことです。

短編小説をYouTube(ノベルチューブチャンネル)に投稿してみたい小説書きの方は、

までお問い合わせください。

正直にぶっちゃけると、YouTube上で小説を発表してアクセスを集めるのはめちゃくちゃに難しいことで、最初のうちは試行錯誤の連続だと思います。

ただ、「YouTubeに小説を載っけたって誰も読みやしないだろう。ましてや収益化なんて夢のまた夢だろう」と多くの人が考えている今だからこそ、ノベルチューブさんの《YouTube小説》の試みは大変興味深い実験であり、成功するにしても失敗するにしても、その行く末を見届けたい(できれば協力したい)と考えています。

ある意味、小説を書いて発表することそのものが、実験と失敗の連続です。

私もそこで何度も挫折しかけ、挫折し、それでもなんだかんだ、騙し騙しで小説を書き続けている節があります。

かつては新人賞に受賞して小説家になることが私の夢でした。

しかし今は「夢」ではなくて、小説を書くこと自体をライフスタイルとして楽しんでいけたら、もうそれ以上に望むものはないなとしみじみ実感するようになりました。(嘘ですごめんなさい本当は芥川賞とノーベル文学賞と世界中からの賞賛の嵐と5000兆円が欲しいです)

筆を折らずに書き続ける。楽しんで書く。

簡単そうで難しい。

良い小説が書けるよう、これからも精進していきたいです。

(了)

今年の一太郎2019プレミアムは辞書目的で「買い」だと思う

一太郎2019

さすがに毎年買うつもりはなかったのだけれど、結果として

  • 一太郎2017プレミアム
  • 一太郎2018プレミアム
  • 一太郎2019プレミアム

と三年連続で一太郎プレミアムを購入するに至った。

正直なところ一太郎のワープロソフトそのものはあまり使っていなくて、同人小説の製本原稿を作るときだとか、KDP出版用の電子書籍データーを作るときくらいしか一太郎を起動していない。

活用しているとは言いがたいワープロソフトのためになぜ毎年1万5千円も支出するのか。

それは、一太郎プレミアムはおまけが本体!と言っても過言ではないほど、おまけが豪勢かつ魅力的だからである。今年はさすがにいいかな、と思ってもついついおまけに釣られて買ってしまう。

例えば一太郎2017プレミアムでは

  • フォントワークス厳選10書体
  • 岩波国語辞典
  • 明鏡ことわざ成句使い方辞典
  • 大修館四字熟語辞典
  • ジーニアス英和/和英辞典

一太郎2018プレミアムでは

  • イワタ書体
  • 広辞苑 第七版

一太郎2019プレミアムでは

  • 秀英体
  • 日本語シソーラス 第二版 類語検索辞典
  • 明鏡国語辞典 第二版

がプレミアム限定特典としてついてくる。

フォントのことは門外漢でよく分からないが、特典の有料フォントと電子辞書だけで十分に本体価格の元が取れてしまうのである。

今年度版の一太郎2019プレミアム付属の『日本語シソーラス 第二版 類語検索辞典』は単体で16,200円するし、『明鏡国語辞典 第二版』単体でも3,132円する。

ふつうに買ったら計2万円くらいする辞書に合わせて、ワープロソフトと音声読み上げソフトと有料フォントとフォトレタッチソフトとその他諸々がセットになって1万5千円で手に入る一太郎プレミアムは、ふつうにめちゃくちゃお得なのだ。(文章を書く人にとっては)

国語辞典系の電子辞書は毎年何かしらついてくる(岩波、広辞苑、明鏡)けれども、類語辞典が特典になるのはそうそう何度もある機会ではないと思う。

『日本語シソーラス 第二版 類語検索辞典』が入っている今年の一太郎プレミアムは間違いなく「買い」だと太鼓判を押せる。

一太郎プレミアム付属の電子辞書は何が便利なのか?

一太郎プレミアム付属の電子辞書(for ATOK版)の圧倒的に便利なところは、辞書を引く手間がまったくかからない点にある。

例えばすぐ上の段落に書いた『太鼓判を押せる』の太鼓判の文字列を選択して「Ctrlキー」を2回連続で押すと、辞書の見出し語の項目が即座に立ち上がり、意味を調べることができる。

上のキャプチャでは、インストール済みの『岩波国語辞典・ジーニアス英和/和英辞典・広辞苑・日本語シソーラス・明鏡国語辞典』の4つの辞書が起動し、それぞれ横断検索ができる。

解説文中で分からない言葉があれば、その語句の意味も即座に引けるし、

たいこばんをおす【太鼓判を押・す】

絶対に確実であると保証する。
「彼の人柄については誰もが━」
[注意]よくないことにいうのは誤り。「× 不良品の━・される」

明鏡国語辞典 第二版 (C) Kitahara Yasuo and Taishukan, 2011-2018

のように、引用可能な著作者表記付きの形で内容をコピー&ペーストすることもできる。

あともちろんながら、入力モードが「ATOK日本語入力」ではなく「Google日本語入力」や「IME」のときでもATOK電子辞書は問題なく起動できる。

PCで使える電子辞書としてはロゴヴィスタの製品も持っているけれども、使い勝手に関しては圧倒的にATOK電子辞書が勝っている。

知らない言葉があったときに1秒以内に辞書を引ける、一太郎プレミアム付属の電子辞書(for ATOK版)は本当にストレスフリーなのである。

ちなみに『日本語シソーラス 第二版 類語検索辞典 for ATOK』で「太鼓判」の類義語を調べると

  • 極め付き
  • 極印(ごくいん)付き
  • 折紙付き 折紙を付ける
  • 御(お)墨付き 墨付き
  • 金箔付き 箔付き
  • 保証付き

のような類義語一覧が表示される。ATOK国語辞典と併せて使えば百人力だ。

「ATOK日本語入力×日本語シソーラス」にはさらにすごい機能があって、連想変換『類語ファインダー』なるモードがある。

例えば「ひゃくにんりき」の変換確定をする前に「Ctrlキー + Tabキー」を同時押しすると、連想変換ウィンドウが立ち上がる。

すると上のキャプチャのように「大船に乗ったよう」だとか「頼りがいがある」だとか、「百人力」を連想させる関連語句を提案してくれる。

とても便利だ。

正直なところATOKの便利機能は数が多すぎて持て余しているのだけれど、おまけの電子辞書だけでも十分に満足している。

以上、宣伝のようになってしまったが、一太郎プレミアムはおまけがすごいよ!というお話でした。

(了)

新条アカネ(SSSS.GRIDMAN)と梓川かえで(青ブタ)の共通性についての考察

初めに、当記事にはアニメ「SSSS.GRIDMAN」および「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない(おるすばん妹の夢を見ない)」最終話までのネタバレが含まれる。すでに視聴済みであることを前提に話を進めるゆえ、未視聴の方はブラウザバックされたし。

共通する問いかけ

新条アカネと梓川かえでの物語は

  • 『自身の創作物によって自己を救うことはできるか』
  • 『創作による自己救済は可能なのか』

という共通の問いかけを内包している。

これについてはサブブログ(下の記事)で以前に書いたとおりだ。

 

新条アカネについて図解をするとこのようになる。

新条アカネは、三次元世界の住人であった。

アカネが現実においてどのような悩みや問題を抱えていたかは知ることができない。学校で友だちができずひとりぼっちなのかもしれないし、引きこもりで学校に行けないのかもしれない。

なんにせよ、アカネはおそらく自分を救うために、六花のいる虚構世界を《創造》した。

六花はアカネの生み出した創作物に過ぎないが、創作世界において彼女の壊れかけた精神を救うことに成功した。

しかし、もともと異なる次元に住まうアカネは、六花と同じ世界に居続けることができない。六花からプレゼントされた定期入れを形見に、アカネは現実世界に帰還する。

自身の創作をもってして、自身に立ちはだかっていた壁を乗り越えた話と受け取ることもできる。

すなわち、自身の創作物によって自己を救うことはできるか、創作による自己救済は可能なのか、というひとつの問いかけである。

青ブタの梓川かえでについても話の構造としては、新条アカネの場合と類似している。

梓川花楓はいじめが原因で学校に通えなくなっていた。また、思春期症候群という未知の病を発症していた。

新条アカネと異なり、花楓は自ら望んでそうしたわけではないが「かえで」という新しい人格を《創造》することにより自分を助けようとした。

そしてGRIDMANにおいて、三次元の住人と二次元の住人が決して同じ世界で暮らすことができないのと同じように、花楓とかえでは《記憶》を共有することができなかった。

二次元世界で生まれ変わったアカネは、六花・裕太・アンチ君たちに救われた。新しい人格として誕生したかえでも、兄の支えや麻衣さんとの交流を経て、電話に出られるようになり、外に出られるようになった。

目標を遂げた《かえで》は日記帳を形見に遺して、元の《花楓》へと帰還した。

SSSS.GRIDMANにしても青春ブタ野郎シリーズにしても、その物語の基本構造はファンタジーの原型たる「行きて帰りし物語」であり、その応用型であるといえる。

SSSS.GRIDMANは響裕太が表向きの主人公ではあるけれども、物語構造としては新条アカネこそが主人公だった。

行きて帰りし物語において大切なことは2つあって

  • 境界線を越えること
  • 元の世界に帰ってくること

だ。

指輪物語でもナルニア国物語でもはてしない物語でも、主人公はとにかく境界を越えて日常から非日常に足を踏み出す。

そして創作世界で成長した主人公は、現実世界に帰ってくる。多くの場合、それは創作世界の住人との別れを意味するので、去り際に主人公は《形見》を貰い受けるケースが多い。

その形見を糧にして、現実世界でも前に進んで生きてゆける。

私たちが小説を書く、その行為もまた《行きて帰りし物語》と似ているのかもしれない。

多かれ少なかれ、自分の書く物語に、自分自身を救う力があるのではないか、自分自身を成長させる力があるのではないかと、心の何処かで期待している。

そして原稿を完成させて、現実世界に帰還する。

物語を書く前の私と、書いた後の私は、はたして何も変わっていないだろうか。

  • 『自身の創作物によって自己を救うことはできるか』
  • 『創作による自己救済は可能なのか』

その問いへの答えは、SSSS.GRIDMANや青春ブタ野郎シリーズのなかにあると私は考えている。アカネにとっての定期入れが、花楓にとっての日記帳が、あなたにとっての小説原稿になるのではないか――と。

後記

この記事はじつのところ、青ブタ最終話のショックをやわらげるために、藁にもすがる思いで書いている。

私としては「おるすばん妹」の話はとてもつらくて受け止めることができず、12話を見た一週間前からもうずっと落ち込んでいる。立ち直れる自信がない。

ライトノベルにいかにも出てきそうな《妹キャラ》をあえて伏線とし、叙述トリックを仕掛ける。ほいほいと釣られてしまったシスコン豚野郎をフルボッコにする展開に、私の心は折れてしまった。

一介の視聴者に過ぎない私がこのザマなのだから、主人公の咲太が受けた精神的ショックはもはや計り知れない。

なんにせよ、今期アニメは良作揃いだったと思う。SSSS.GRIDMANと青春ブタ野郎、素晴らしい作品に出会えたことに感謝したい。

(了)

【考察】アニメ版 はねバド!に見る「何のために○○をするのか」の呪縛

2018年夏に私を最も熱狂させたアニメは「はねバド!」で間違いない。ハマり過ぎてあとで原作(漫画)も読んだが、ストーリー展開もキャラクターもアニメ版とはまったく異なっていて驚いた。

無論、これは必ずしも悪い意味ではなく、アニメ版と原作とで二度楽しめた。

さておき、ここではアニメ版について語りたい。

アニメ版「はねバド!」では、ストーリー中のテーマとして次の2点が強調されていた。

  • 「才能のない人間」は「才能のある人間」に勝てないのか
  • 自分は何のためにバドミントンをするのか

原作はどちらかと言えば純粋なスポ根モノであったのに対し、アニメでは上記のメッセージがやたらと押し出されていたので、作品の雰囲気がガラッと違うものとなった。(あとアニメ版は人間関係がギクシャクしていた)

2種類の才能について

才能には2種類ある。神様から授かる才能と、環境から授かる才能のふたつだ。

本作の主人公、羽咲綾乃は「才能のある選手」として描かれる。しかし彼女の持つ才能は、後者にあたる。

物心ついた頃にはラケットを手に持ち、バドミントン日本一のプロ選手である母親から英才教育を受けていた。自宅にはバドミントン専用のコートがある。圧倒的な環境の優位性。

作中では海老名 悠が「わたしは小学生の頃からバドミントンを続けていたのに(才能のある人には勝てない)」といったようなことを言っていた。

しかし、努力を「練習の質 × 量」と定義するのであれば、羽咲綾乃は 2歳の頃からプロ指導の下でバドミントンの練習をしている。努力の質でも量でも、羽咲綾乃に勝てる者は誰もいないのだ。

それはたしかに環境から授かった才能のひとつと言えるのかもしれないが、努力とほとんど同義である。

「才能のあるやつはいいよね」みたいに妬み僻みを向けられることがあるとすれば、それはさすがにお門違いで、ルサンチマンだと言える。

あとでの話に繋がるのでここで一旦まとめておくと、羽咲綾乃は「環境」によってバドミントンの才能を授けられた。換言すれば、彼女がバドミントンをする理由は、母親(環境)が付与してくれていた。

ゆえに母親が家から出ていったとき、綾乃は自分がバドミントンをする意味・目的を見失い(母が本当に帰ってこないと悟ったあとは)バドミントンをやめてしまった。

 

さて、一方で「神から授かる才能」というものもある。綾乃のライバルであるコニー・クリステンセンは、バドミントンをするのに有利な高い身長と長い手足を持っている。こればかりは環境や才能ではどうにもならない。

(もっともコニー自身も並外れた努力をしている。ただ原作では「生まれ持った才能(コニー) vs 環境によって造られた才能(綾乃)」という天才同士のぶつかり合いが、ひとつのテーマとして描かれる。

いわゆる「天職」と呼ばれるものは、生の指針、意味・目的が上位存在(神)から付与される。コニーがバドミントンをする理由はこれとは違うかもしれないが、もし自分がバドミントンをする理由を生まれ持っての特性に見いだすのであれば「わたしはバドミントンをするために生まれてきたんだ」という使命感を心の拠り所とするだろう。

何のためにバドミントンをするのか

そろそろ本題に入りたい。作中で繰り返し繰り返し登場した「何のためにバドミントンをするのか」の答え。もっと言えば「我々は何のために生きるのか」

アニメ版 はねバド!は、羽咲綾乃と荒垣なぎさの決勝戦で最終回を迎える。ここで興味深いのが、荒垣なぎさがバドミントンをする理由の変化である。

最初、荒垣なぎさは過去の呪縛に囚われていた。全日本ジュニア選手権で、自分よりも年下の綾乃に完敗してしまった悔しさに。

過去の弱いままの自分ではいけない。もっと強くならなければいけないという焦りから、彼女は部員たちにきつく八つ当たりをしていた。(アニオリ展開)

このように、○○をする理由(何のために生きるのか)は一般的に、時間的・空間的隔たりを経た外部存在から付与される。

  • 母親のためにバドミントンをする(他者 → 自分)
  • 持って生まれた才能を信じて戦う(神 → 自分)
  • 負けてしまった弱い自分と決別するために頑張る(過去 → 自分)
  • お金持ちになるために働く(未来 → 自分)

外部存在から付与される意味・目的に頼ることの欠点は、その外部存在が消滅してしまったときに自分がそれをする理由を剥奪されること。母を失った綾乃がバドミントンをやめたように、外部存在を拠り所とした《生の指針》は思いの外脆く消滅する。

新垣なぎさは過去の呪縛に囚われてバドミントンをしていたが、コーチとの試合のなかで「バドミントンが純粋に好きだった頃の気持ち」を取り戻す。スランプを克服し、「バドミントンが好きだからバドミントンをする」シンプルな答えに辿り着く。

○○をする理由を見失ったときはどうするか

このブログの読者さんは創作をされる方が多いから、おそらく「自分は何のために小説を書くのか」「このまま小説を書いていて意味はあるのだろうか」といった悩みを抱えたことのある人は少なくないと思う。

アニメ版 はねバド!の主人公、羽咲綾乃と荒垣なぎさが最終的に見つけた答えが、おそらくは《実存》と呼ばれる概念に近いものだと私は解釈している。

過去のためでもなく、未来のためでもなく、バドミントンをしている今この瞬間の楽しさと苦しさを実感するために。

他者のためでもなく、神様のためでもなく、今この瞬間の自分を突き動かす衝動のために。

白帯の向こうに見える相手の姿は、――自分の心

(アニメ版 はねバド!最終話)

長々と語ってしまった。

もしも自分が「何のために○○をするのか」のクライシスに襲われ目的や意味を見いだせなくなったら、ひとまずは今この瞬間に集中してみることが大切なのかもしれない。

はねバド!と同じくスポ根モノの漫画(アニメ)である「灼熱の卓球娘」の主人公は、卓球をしている瞬間の「ドキドキ!」を感じることを目的に、卓球に打ち込んでいた。

今この瞬間しか味わえない快楽/快感(苦痛を含む)は、自分が生きているというたしかな実感を与えてくれる。

それは時として、他者のため、神のため、未来のため、過去のため、といった行為目的よりもずっと強く作用する。

アニメ版 はねバド!を見ながら私はずっとそんなことを考えていた。何にせよ、アニメ、原作共に素晴らしい作品でした。


はねバド!(1) (アフタヌーンコミックス)

※原作「はねバド!」リンク先はAmazon。Kindle版は1巻が無料です。

追伸

アニメ版でより一層性格の悪さ(?)が強調された羽咲綾乃ちゃんが私は大好きです。たこたこ^~ ほえほえ^~

 (了)

ときまき!サイト移転予定のお知らせ(最後のご挨拶)

 これまで、20を越える数のブログやウェブサイトを運営してきた。そのなかでも「ときまき!」には特別な思い入れがある。はてなブログという場がなければ、あるいはのべらっくすさんの『短編小説の集い』がなければ、書かれることのなかったであろう物語がある。

 魚崎とき、海鳥まき、深見クラゲ、月波ツカサ、それから五条ダンのキャラクターは、はてなブログだからこそ生まれ、のびのびと好き放題にやってこられたところがある。読者の皆さまのおかげでもあり、心より感謝申し上げたい。

 ゆえに大変名残惜しい。このたび、はてなブログを去ってWordPressにサイトを移転することとなった。

 これは巷でよく言われるSEOがどうのマネタイズがどうのは一切関係なくて、ひとえに複数のブログを運営するなかで維持コスト・管理コストを負担し切れなくなった理由が大きい。

 読者の方はご存知かもしれない「Webライターとして生きる」や「タロットプロット」の他に10個くらいのサイトを今も運営しており、しかしどれも中途半端なところで投げ出してまともに更新もできていない。赤字なのに無駄なサーバー代やドメイン代だけが嵩んでしまう。とても情けない話である。

 いくつかのサイトは、テーマが似通っている。そこで、それらをまとめて「WordPress版・新ときまき!」に統合しようと思い立ったわけだ。すでにドメインとWordPress導入は済ませており、近日中には公開できると思う。

 サブブログの「Webライターとして生きる」は新ときまき!に統合される形となるけれども、必ずや(ちゃんと更新してほったらかしにしない)良いサイトにできるよう頑張っていきたい。

我々は何のために書くのか

 ときまき!は言ってみれば「書くために生きる方法」を追究するブログだった。

 対して姉妹ブログのWebライターとして生きるは「生きるために書く方法」を模索するブログだった。

 我々は書くために生きるのか、生きるために書くのか。

 ツイッターの方で呟いたのはこんなところだが、自分のなかで考えがじつに迷走しているのがよく分かる。

 最後に、ときまき!メンバーの以下5名からの挨拶をもって当ブログの締めくくりとしたい。

 

魚崎とき「例えばすっごく面白い夢を見たときに、目が覚めたら慌ててノートに夢の内容を書き写そうとするやろ? どうせすぐに忘れてしまう、記録したところで意味はないって分かっとうのに。

 せやけどな、もしもキミがその物語を書かなければ、あの日訪れた夢のセカイは跡形もなく、完全に、消滅してしまうんや。書く理由なんて探さんでも、書かないことにキミは耐えられへんやろう。あとは、衝動の導くままに書き出せば大丈夫。

 新ブログでは今度こそ、うちがヒロインになるからな!! これからもよろしく!!!」

 

海鳥まき「えっ、五条さんまたサイト変えるんですか……以前それやって移転に大失敗して、わたしが頑張って作ったブログを検索圏外にふっ飛ばしましたよね(激おこ)

 まあ、人間ですから失敗もあります。不運もあります。書いても書いても報われないどころか、かえって辛い思いをしてしまうこともあります。

 それでも、たんたんと、呼吸をするときのように自然に、肩の力を抜いて、書き続けるのです。書いて書いて書きまくるのです。たとえその先に待ち受けるものが期待した結末でなかったとしても、それが生きるってことなのですから。

 新ブログではもちろんわたしがメインヒロインです。今までありがとうございました」

 

深見クラゲ「自分が過去に書いた文章を読んでいると、この世界のなにもかも原稿もろとも消し去ってしまいたい気持ちになる。

 小説を書くとは、言ってみれば恥ずかしくて身悶えする黒歴史をミライの自分に送りつける時限爆弾のようなものであり、被虐的な要素を併せ持つ。ゆえに書くのは時として苦しいし、時として恥ずかしい。いつかはそれを楽しめる狂人になりたいものだ。

 私もやがては死に、私の書いた文章も(うっかり文豪になったりしない限りは)この世から跡形もなく消える。それは救いといえば救いなのかもしれない。

 が、生きているうちに文豪になるのも悪くはないなと思う今日この頃である。(なれるものならば)……長生きしよう」

 

月波ツカサ「月とスッポンという言葉を聞くたびに、スッポンをナメるんじゃねーぞ!!! って思う。スッポンの首は長い。とてもとても長い。胴体比では多分キリンよりも長い。スッポンは湖底の砂に平べったい甲羅を隠して、頭の鼻先だけを出して水面を窺う。月下に魚がスーッと過ぎると恐るべしスピードで首を伸ばして食らいつく。噛み付いた獲物は決して離さない。

 仮令(たとえ)、自分がスッポン側の人間だとしても、怖気づくことはない。貪欲に、強欲に、大欲に食らいついてやろう。くく、新ブログのヒロインの座は貰い受けた」

 

五条ダン「先日、9月9日に文学フリマ大阪に出店しました。予定していた新刊は出すことができなかったのですが、たくさんの方がブースにお越しくださって、お声掛けくださって、本当に嬉しかったです。

 過去の自分にしか書けなかった物語があり、今の自分にしか書けない物語がある。未来になれば書けるかもしれない物語がある。

 将来への不安や、過去への執着は絶えませんが、今この瞬間に集中して、原稿を書くことを楽しめれば良いなと思います。次回の文学フリマでは必ずや新刊を書き上げて頒布したいです。精進します!」

 

ときまき!一同「今まで本当にありがとうございました! これからの新ときまき!もよろしくお願いいたします!!」

 

※サイト移転完了したらまたお知らせします。

ツイッター(五条ダン @5jDan)もフォローしていただけたら嬉しいです。

ありがとうございました。

(了)

【レビュー】日本語の文体・レトリック辞典(中村 明・著)

今回ご紹介するのは『日本語の文体・レトリック辞典』(中村 明・著/東京堂出版)

先日の記事では佐藤信夫著の『レトリック事典』のレビュー記事を書いたので、本書と比較した上でのレビュー記事を書いていきたい。

日本語の文体・レトリック辞典

(総ページ数は472頁)

『日本語の文体・レトリック辞典』と『レトリック事典』の違い

先日の記事で「レトリック事典は辞書というよりも、最初から最後まで全文読破したい専門書」という風にご紹介した。

それに対し、本書は辞書としての活用がメインとなる。レトリックやその関連用語が一通り網羅されており、用例と解説もコンパクトにまとまっている。

レトリックを体系的に深く学ぶのであれば『レトリック事典』

レトリック用語を検索するのであれば『日本語の文体・レトリック辞典』

と使い分けができると思う。

『日本語の文体・レトリック辞典』はどういう人におすすめ?

修辞技法を学習される方、それから文体研究に重きを置く書評ブロガーの方、文章術指南をするライターの方に本書はおすすめできる。

ただ、用語についての事前知識がある程度なければ、目的の単語に辿り着けない。

例えば「《嬉しい悲鳴》ってなんていうレトリックだったっけ?」と気になったときに、(たぶん、濫喩だとか対義結合だとかのグループだな……)と検討がつかなければ、なかなか《撞着語法》の答えを引き当てられない。

もし自分の知らないレトリックについて調べたい場合、それが「配列」「反復」「付加」「省略」「間接」「置換」「多重」「摩擦」の、どの原理に基づくレトリックであるかアタリをつけ、本書巻末のレトリック体系一覧から探りを入れていく形になる。

その意味において、本書は中・上級者向けと言える。(なお、見出し語は五十音順に並んでいる)

結論を述べると、本書は《小説を書く人》向けというよりかは、《文体研究や文芸評論をする人》向けの辞書であるように感じられる。

小説を書くのに本書は不要か?と問われれば、絶対にそうだとは言えないが、少なくとも本書を役立たせるのはけっこう難しい。

実際に「彼女は優しく残忍な性格だった」と描写をするときに、こうした表現が《オクシモロン/対義結合》にあたることを知らなくても、ふつうに表現技法を自分のものとして小説を書くことはできる。

「これはこういう名称のレトリックですよ」という知識は、小説を書くよりも、文芸評論をやる際に役立つものだろう。

初期学習では辞書よりも入門書籍がおすすめ

「レトリックの知識は深めたいけれども、細かい分類や専門用語まで知っておく必要はない」という方には本書よりも下記の入門書をおすすめしたい。

以上、どちらかと言えば消極的なレビューになってしまい恐縮だが、レトリック辞書として本書はとてもよくまとまっている。

関連語・類義語・対義語、それから外来語・原語のガイドが丁寧で、検索しやすい。使っているうちに知識が自然と増えてゆくことと思う。

寝る前とかにぱらぱらとページをめくって例文を読んでいるだけでも面白い。

巻末の『日本語レトリック体系一覧』は非常に分かりやすくレトリックが分類されている。

なんにせよ私自身が『日本語の文体・レトリック辞典』を使いこなせるよう、精進していきたい。

(了)

今回の紹介書籍

(商品ページ:Amazon楽天ブックス

 

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『レトリック事典(佐藤信夫)』小説書きの辞書レビュー

レトリックを学問として勉強するのであれば、これが最強!と太鼓判を押せる事典がある。

今回は大修館書店より出版されている『レトリック事典』(佐藤信夫・佐々木健一・松尾大、執筆)をご紹介したい。※書名リンク先はAmazon

レトリック事典

(総ページ数は815頁)

販売価格が税込みだと7千円オーバーで、買うにはそれなりの思い切りが必要だった。内容は素晴らしいの一言に尽き、もはや文句をつけるのさえ畏れ多い。

これ程の分厚さであれば、国語辞書みたいな「必要な箇所だけ引く」タイプの辞書に思えるかもしれない。しかし本書はそうではなく「最初から最後まで全文読破する」タイプの辞書である。

レトリックを体系的に学べる専門書、と呼んだ方が妥当かもしれない。とにかく例文と解説が充実しており、相当にマニアックな領域にまで攻め込んでいる。

『レトリック事典』が役に立つ人、役に立たない人

残念ながらレトリック事典は決して、万人向けの書籍とは言えない。が、少なくとも7千円もするこの辞書を買おうかどうか迷っている時点で、読者対象には入っていると思う。

本書のメインターゲットはおそらく、修辞学・言語学を専攻する学生や研究者。それほどに専門性の高い内容を取り扱っている。私が仮に文学部の学生で「卒業研究は太宰治の文体分析をしてみたいなー」と考えたとすれば、論文を書く際には本書がめちゃくちゃ役立ったに違いない。

ただ、「小説がうまく書けるようになりたい!」といった目標がある場合に、それを叶えるのに本書が役立つかどうかは、正直なところ厳しいと言える。

というのも本書は「こうすれば名文が書ける!」的なノウハウ書とはまったく性質が異なる。あくまで、修辞技法への飽くなき知的好奇心を満たすための書であるからだ。

純粋に筆力向上を目的とするのであれば、それに合った文章術の本を買った方が良いかもしれない。

もしも本書に解説されるレトリック技術をそのまま自身の筆力向上に繋げられる人物がいるとすれば、それはもう並外れた努力の成果であるし、素晴らしい才能の持ち主であると言える。

(もちろん私はまだ、その領域には達せずにいる)

兎にも角にも、レトリック事典が読み物として面白いのは折り紙つきであるから、レトリックが好きな人にはもちろん、小説の文体研究にハマったことのある人には本書をおすすめしたい。

『レトリック事典』を読む前に読みたい入門書

もし「これからレトリックを勉強します!」という人がいれば、いきなり本書を手に取ると挫折する可能性が考え得る。

『レトリック事典』を読む前に、下記の入門書に目を通されることを勧めたい。

とくに最初に読む本として一押しなのが『日本語のレトリック―文章表現の技法(瀬戸賢一・著)』で、これは名著だと思う。岩波ジュニア新書なので子供向けの本かよ!と感じられるかもしれないが、レトリックについてものすごく分かりやすくまとまっている。本書の文章自体にレトリックが豊富に散りばめられており、内容も面白い。前書きだけでも読む価値がある。

レトリック感覚』の方は、このレトリック事典の企画・構成・執筆をされた佐藤信夫氏が著者であるので、副読本として合わせて読むと分かりやすいかもしれない。

レトリック感覚については、けいろーさんという方が素晴らしい書評をブログに書かれているので、下のレビュー記事をぜひ参考にしてほしい。

話が脱線してしまったが「合わせて読みたい本!」ということでご紹介させていただいた。

レトリック事典にはどんなことが書かれているの?

レトリック事典がどれほどに専門的な領域を扱っているか、一例を挙げると「換喩と提喩」の関係性についての考察が10ページにわたり、グループμの提喩原型説からニコラ・リュウェの提喩否定論に至るまでぎっしりと解説が続いている。

これだけだとなんじゃらほい?の話なので、もう少し分かりやすく。

まず「提喩(シネクドキ)」と「換喩(メトニミー)」という2つのレトリックがあり、これらは性質が一見してよく似ているがために、その関係性がたびたび議論された。提喩の下位に換喩があるのか、むしろ提喩が換喩の一種に過ぎないのか、はたまた両者は完全に別物と考えるべきなのか、説が分かれる。

「提喩(シネクドキ)」は私たちの日常にありふれた言葉のあやであり、もしも提喩が成立しない世界に行くと、そこはツイッターのクソリプ地獄のようなディストピアになってしまう。

例えば、春の天気の良い日に「せっかくだから今日はお花見に行きましょうか」と話しかけようものなら大変だ。

「いいですね、近所の公園にタンポポを見に行きましょう!」

「何言ってんだ、花と言ったらラフレシアだろ。植物園に行こうぜ!」

みたいな話になってしまう。

でもみんなは、お花見の花と言えば桜のことで、もっと言えば十中八九、ソメイヨシノを鑑賞することだと知っている。「花」という全体の【類】をもってして「サクラ」という特定の【種】を言い表す。

これが提喩と呼ばれるものである。

……といった話はもちろんレトリックの入門書にも書かれている事柄であるが、提喩のなかには換喩との区別が難しいタイプが存在する。

また別の例を出してみよう。

帰り道に会社の上司に呼び止められて「今日は飲みに行かないか!」と誘われたとする。

もし提喩の成立しない世界であれば、上司に連れて行かれる場所はじつはスターバックスで、カプチーノを一杯おごられる可能性も考えられる。あるいはマクドナルドへ行ってバニラシェイクを飲みに行くのだって全然オーケーだろう。

しかし現実世界において「飲みに行く」の一言からは、居酒屋でビールを飲むようなシチュエーションが想起される。

「飲む」という全体の【類】をもってして、(カプチーノでもなくバニラシェイクでもなく)「お酒を飲む」という特定の【種】が言い表される。ゆえに、これも提喩の一例である。

 

ところで、落語の演目のひとつである『五人廻し』には、「男の三道楽煩悩と言えば、飲む、打つ、買う……と昔から決まっている」みたいなフレーズが登場する。

ここでの「飲む」も先の例と同じく「お酒を飲むこと」を意味するから、これは提喩であるし、佐藤信夫氏自身も提喩の作例として収集した。

しかしレトリック事典の解説ではそこからさらに論を進め、これはたしかに提喩である『だが、われわれの規定に従えば、これはむしろ婉曲プラス短縮の換喩の典型的な事例である(引用:p.277)』と述べられている。

どういうこっちゃと思うが、例文の「飲む、打つ、買う」のフレーズはいずれもその目的語をあえて隠すことによって含みを持たせている。

それはもちろん「女を買うのが男の三道楽煩悩だ」とでも言ってみようものなら、今であればボコボコに叩かれて当然で、昔であっても面と向かって言えるような事柄ではなかろう。

ゆえにこれは短縮した「飲む、打つ、買う」の三語で、その動詞に隣接した「男の三道楽」を婉曲的に言い表している。換喩(メトニミー)的表現であると言える。

余談だが、セックスすることを「抱く」と表現するとき、これはまず提喩にカテゴライズされるが、やはり同様に、婉曲プラス短縮の換喩にもなり得る……と思われる(自信がない)。

 

話が長くなってしまった。レトリック事典では、上記のようなややこしい議論にも踏み込んで解説をしている。

ここまで読んで面白いな!と感じられた方はレトリック事典を買ってまず後悔はしないし、逆に(ここまでマニアックな話はついて行けんわ……)と感じられた方は手を出さない方が無難だと思われる。

レトリックは「正しい日本語」を身につけるためのものではない

ところで世の中には「日本語警察」なる人たちが存在する。

例えば彼らは、「やっとご飯が食べれる」とツイートしたら、「それは《ら抜き言葉》ですよ」と注意をしてきたり、あるいは「海に泳いだり、家で読書などして楽しかった」と感想を書いたら「並列助詞《たり》は反復して使わないといけません」と怒ってきたりする。

しかし、レトリックマニアであれば、違う捉え方をする。

誤用を見つけたとき、むしろ目をキラキラと輝かせて「面白い。これはどういう効果を狙った表現なんだ」と考える。レトリック事典においても「一般的には誤用だが言葉のあやとして成立し得る」ケースの事例が紹介されており、読んでいて興味深い。

あたりまえの表現に不思議を見いだし、おかしな表現に面白さを発見する。それがレトリックを学ぶことによって得られる、最大の効用である。

レトリックを愛するすべての人たちに、本書をおすすめしたい。

(了)

今回の紹介辞書

『レトリック事典』佐藤信夫(大修館書店)

(商品ページ:Amazon楽天ブックス

 

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読者からの「厳しい感想」を小説書きはどのように受け止めるべきか

ブログの運営やウェブ小説の投稿を長いことしていると、時折、読者の方からご感想をいただくことがある。

それは大変ありがたいことで、多くのコメントは僕にとっても励みになるものであるが、なかには作者に大きな精神的ショックを与える類いの感想も紛れ込んでいる。

サブブログとして運営している『Webライターとして生きる』の方にも、「てめえに物書きを名乗る資格はない。ライター失格だ!!」みたいなコメントが寄せられ、ギョッとさせられたことがある。

SNS活動だって長年続けていれば、発言内容が不意に拡散されて炎上し、クソリプがやってくることは珍しくない。人目に触れる創作をしている以上、そういったコメントにはある程度の覚悟をしておかなければいけないなと実感した。

さて、読者からの「厳しい感想」のうち、まったく無根拠に貶してくるような奴は、完全に無視して差し支えない。

しかし、無視できないものもある。

なかでも作者に大ダメージを与えるのが「かなり手厳しい感想だが、指摘には正当な根拠があり、ぶっちゃけ泣き所を突かれる」タイプの感想である。

実際に一ヶ月前、弊ブログ「ときまき!」にも匿名読者さんよりこのタイプの感想が送られてきた。

その感想は見ようによっては愛のこもった批評であり、また筆力も相当に高い。だから僕は怒っていないし、むしろこれほどの文章が日の目を見ないのは勿体無いとさえ感じている。

頂いたラブレターに返信する方法が他にないため、大変申し訳無いが下記にて全文をご紹介させていただきたい。

(追記)2018年9月15日

記事公開後、匿名として送られたメッセージを勝手に公開するのは良くないのではないかとご批判が寄せられ、たしかにそのとおりであるため感想の公開を取り下げることといたしました。

当方の判断の至らなかった点につき、深くお詫び申し上げます。

感想を受け取って感じたこと

1200文字もある感想を受け取り、正直なところ面食らった。だが同時に、その高い筆力にも舌を巻いた。換言すれば、人の心を強く揺さぶるように書かれている。

冒頭の持ち上げてから落とすテクニックは秀逸。感想中の『人にものを教える時は饒舌で巧みなのに、物語となると様変わりしてしまうなんて、と少なからずショックを受けた。』の一文はいわゆる対照法のレトリックを用いており、かなり威力が高い。

というか、ショックを受けたのはこちらの方だぜ!とツッコミを入れたくなるほどの名文である。

文章術を解説するブログを運営している僕自身が、その肝心の技術をまったくもって自作に活かせていない。これは図星であり、それゆえにダメージが大きい。そう、残酷な正論なのである。

以降の「人物描写の悪い部分」の具体的なご指摘は、僕から見てもおおむね納得するところであり、そのとおりだと思う。痛いところを突かれたぜ!といった感じである。

血と愛のこもった感想であるし、僕ならばきっと受け止められると信じて送ってくださったなら、これほどに嬉しくありがたいことはない。気持ちは真摯に受け止めたい。

ただ、ひとことだけ言わせてもらうのであれば、

こんな強い言葉を僕以外に向けてはいけませんよ!

ということである。

「人物描写に改善余地がある」という指摘自体は至極まっとうで、役に立つ。それを伝えようとするならば、強い言葉で感情に訴えかける必要はない。

「文章が読みづらく感じるので、このような感じに手直しされてはいかがですか。ご参考までに」みたいなトーンにした方が、書き手側も冷静に内容を受け止められることと思う。

小説書きは基本的に豆腐メンタルである

もっとも小説を書くような人は、基本的に豆腐メンタルである――と断言してしまえば主語が大きいと叩かれるだろうけれども、繊細で感受性の高い心を持つ人は少なくない。

そのような人にとって、ネガティブな要素を含む感想は、たとえ指摘が正当であったとしても役立てられるものではなく、毒としてしか作用しないケースがある。

かくいう僕自身も決してメンタルが強い方ではなく、かつてブログ記事がホッテントリに掲載されて炎上し、はてなブックマーカーからボコボコに叩かれたときには、それはもう布団にくるまって震えて泣いたものだ。

ツイッターの創作クラスタや、小説投稿コミュニティの一部では、今でも「相手が作家志望であれば、どんな辛辣な感想を投げつけても構わない。むしろ厳しい感想こそが相手のためになる」といった考え方が支持される。

そういうスパルタチックな思想はたしかに多くの受賞者を生み出したかもしれないが、おそらくそれ以上の物書きの筆を折らせてきた。

僕の親友が作家志望で、まさに「自分に厳しく他者にも厳しい」を体現した人なものだから、会うたびに僕の原稿をけちょんけちょんに貶してくる。で、毎回大喧嘩になる。(しかし仲は良い)

なんにせよ、辛辣な感想というのは親友レベルの相手から貰ったものならば受け止められるのだけれども、見ず知らずの他者から貰った場合には受け止めづらいのではなかろうか。

自分を信じること

当記事のタイトル、読者からの「厳しい感想」を小説書きはどのように受け止めるべきか?

この問に対する僕なりの解としては、書き続けることが最優先、である。

あらゆる感想を真摯に受け止める必要はない。自分にとって書く原動力たり得るものだけを選び取り、心に留めておけばそれで十分だと思う。

読者からのコメントは時として先を照らす光となり、時として足を竦ませる闇となる。

心無い感想によって自信をなくし、筆を折ってしまう。それはこの世で最大の悲劇と言える。

どうか自分を信じて、原稿を書き続けてほしい。

(了)

 

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小説書きを「VOICEROID劇場」の沼に誘いたい

VOICEROID劇場、いやその前に諸君はVOICEROIDをご存じだろうか?

VOICEROIDはAH-Softwareが販売する、読み上げ用音声合成ソフトだ。各キャラクター毎に1万円前後で販売されている。

VOICEROID

実際の起動画面。イントネーションや「音量」「話速」「高さ」「抑揚」等を好みに調整できる。

文章読み上げソフトなんて普段使うことあるの? 値段高すぎない? と思われるかもしれないが、物書きとしてはめちゃくちゃ重宝する。

原稿の推敲・校正時には欠かせないソフトウェアで、誤字脱字や文章リズムのおかしなところを発見するのに大助かりだ。僕なんかよりも百倍流暢に聴きやすく、原稿を音読してくれる。

VOICEROIDには製品ごとにキャラクターが割り当てられており、落ち着いたトーンで話す東北きりたん、明るい声質の 紲星(きずな)あかり、関西弁をしゃべらせることのできる琴葉(ことのは)(あかね)、男性ボイスの水奈瀬(みなせ)コウ、リアルな幼稚園児(?)風に話す月読(つくよみ)アイ、ショウタなど、総勢10名のキャラクターがいる。

リトルバスターズ!鈴役の民安ともえさん(VOICEROID+ 民安ともえ)、終末のイゼッタのイゼッタ役の茜屋(あかねや)日海夏(ひみか)さん(VOICEROID+ 東北きりたん EX)など活躍中の声優さんが元となる声を当てており、VOICEROID製品毎の声にはかなり個性が出る。

音声読み上げソフトウェアと聞くと無機質な機会音声を想像されるかもしれないが、VOICEROIDの声は驚くほどに感情豊かだ。(一部の製品では感情切り替え機能も掲載された)

ひとつ1万円台と決して安くはないソフトだが、キャラクター愛ゆえにこれを全種コンプリートする熱狂的なファンもいる。かくいう僕も2011年に『VOICEROID+ 民安ともえ』を手にしたのをきっかけとしてすっかりハマり、『VOICEROID+ 琴葉 茜・葵』を追加購入。ゆくゆくはすべてのVOICEROIDを我がPCに迎え入れたいと考えている。

 

※製品概要はAHS公式サイト「VOICEROID|製品情報|AHS(AH-Software)」を参照されたし。

VOICEROID劇場とは何か?

VOICEROIDの多くはゲーム実況動画で用いられるがその他にも、数学や経済の講座系動画、料理動画、車載動画、最近話題になったところではバーチャルYouTuberの声としても使われている。

なかでも『VOICEROID劇場』はボイロキャラクターのファンが作る自主制作アニメ、二次創作であり、ゲーム実況ほどではないがそれなりに賑わいを見せている。

アニメや漫画作品とは異なり、VOICEROIDのキャラクターは(基本的には)公式設定があまり定まっていない。ゆえに二次創作の自由度も高い。キャラ設定に忠実な製作者がいる一方で、オリジナルの世界観や物語を表現する手法としてVOICEROIDを活用する製作者もいる。

ラブコメ、ホラー、ミステリー、漫才、ドキュメンタリー、ショートショート……etc

VOICEROID劇場の海は広い。ジャンルに一切とらわれることなく、自分の本当に表現したい物語を追求することができる。

僕は、もっと多くの小説書きがVOICEROID沼にハマって、新たなVOICEROID劇場を生み出してくれたらいいなと切に願っている。

実例

僕自身もVOICEROID劇場をすでに5本制作し、ニコニコ動画に投稿している。(ニコニ・コモンズ素材のライセンスの関係で、Youtubeには上げていない)

下記に動画リンクを埋め込んでいるので、もしよければ見ていってほしい。

 

※姉妹による百合、ガールズラブ要素あり注意

 

他にも投稿しているものの全部は貼れないため、残りはこちらへ。

ニコニコのユーザーページをもしフォローいただけたら嬉しく思う。

VOICEROIDの調声機能のみで、ここまで自然に感情豊かに、文章を読み上げることができる。音声合成ソフトウェアの進化には脱帽するばかりだ。

個人的にめちゃくちゃオススメしたいVOICEROID劇場

妙楽さんが作ったVOICEROID劇場。とても素晴らしい。

この方の劇場シリーズは、小説を書く人には心に響くものがあるから、ボイロに興味がない人もぜひ見てみてほしい。

ゆめうつうつ さんの投稿動画。こちらはVOICEROID劇場ではないのだが、もっと広まって欲しい思いでシェアしたい。

音声読み上げソフトであるVOICEROIDも、頑張れば歌わせることができる。本動画は『歌うボイスロイド』の殿堂入りで、11万再生を突破している。

チョコミントアイスエイヤッ↑(/>_<)/ する葵ちゃん効果で昨今のチョコミントブームは沸き起こったのではないかとまことしやかに囁かれている。

 VOICEROID動画作りを始めてみよう!

 VOICEROID劇場を作るのは、おそらく思われているほどには難しくない。

「AviUtl」という驚くほどに高性能なフリーソフトがあり、(扱いに慣れるまでが大変だが)丁寧な解説記事・解説動画がたくさん出ているので、初心者でもきっと大丈夫。

僕も動画制作は初心者で、1分の映像を作るのに1時間もかかったりとめちゃくちゃ苦戦しているのだが、なんにせよ自分の考えた物語が映像になり、声になるというのは筆舌に尽くし難い喜びである

「Web小説を投稿しても全然読んでもらえなくてつらい」と悩んでいる人(かつての私のことだが)は、気分転換がてらVOICEROID劇場沼に、片足を入れてみても良いかも知れない。

(了)

「感情類語辞典」小説書きの辞書レビュー

感情類語辞典』(アンジェラ・アッカーマン、ベッカ・パグリッシ著)は、小説における感情描写を練習するためのお役立ち書籍である。

ただし、見出し語(感情)がたったの75しか掲載されておらず、辞書としての役割を期待すると肩透かしを食らう。一般的な類語辞書とは似て非なるものであるため注意されたし。

筆者が本文中で述べているように、本書は『ブレインストーミングのための道具としてとらえてほしい』(引用 p.27)

感情類語辞典

総ページ数は179p/写真の水色と黄色の本は、姉妹本にあたる『性格類語辞典』

辞書ではなくアイデアブックとして

本書は辞書というよりも、創作指南の読み物 兼 アイデアブックに近い。辞書であれば調べた言葉や表現はそのまま小説本文に用いることができる。

しかし本書の表現はそのままでは使えない。加工を必要とする、材料の形で提示される。

例えば本書で【苦悩】の項目を引いてみよう。

外的シグナルとして

  • 食べ物、飲み物が喉を通らない
  • 見た目にもわかるほど汗をかく
  • 目のまわりが腫れる、苦々しい顔つき

といった感情表現が34個ほど列挙されている。(p.88)

キャラクターの苦悩を表現するのに『食べ物、飲み物が喉を通らない』状態を採用するとして、それを具体的にどのように描写するかは、書き手自身の実力に委ねられる。

本書はヒントを与えてくれるに過ぎない。それを活かすためには(その時点で)ある程度の知識と技術が要求される。

正直に申し上げて、私もあまり本書を活用できてはいない。精進したい……。

冒頭の「感情の書き方」コラムは必見!

冒頭28ページまで「感情の書き方―よくある失敗につまずかないために」という創作コラムが載っており、この内容がとても良かった。

キャラクターの感情描写の《悪い例》と《良い例》が交互に紹介され、なるほどそういう点に気をつけて感情を描くべきだったのか!と目から鱗が落ちる。

じつはKindle版の「無料サンプル送信」で、このコラム全文を試し読みすることができる。

Kindle端末を持ってない人でも、PCアプリ、スマホアプリ経由でKindle本を読めるため、冒頭コラムだけでもぜひ読まれたし。本書で最も価値のあるのが、冒頭の解説部分であるといっても過言ではない。

 ※上記Amazonページの『無料サンプルを送信』ボタンクリックでサンプル版が配信される。

小説書きにとってはあるあるネタだが、原稿を書いていると必ずと言って良いほどに陥るのが「キャラクターが溜め息を吐きすぎる問題」「キャラクターが微笑み過ぎる問題」だ。

溜め息をついた、微笑んだ、満面の笑みをこぼした……etc 便利な表現ではあるものの、ついつい使いすぎてしまう。本書の著者は、型にはまった感情表現をやめよう!と語る。

もっとよく人間を観察し、感情を掘り下げ、キャラクターの揺れ動く心のようすをリアリティをもって読者に伝えなければいけない。

著者は感情描写を

  1. 外的なシグナル(ボディランゲージなどの動作)
  2. 内的な感覚(本能的、生理的な反応)
  3. 精神的な反応(思考)

の3要素に分類する。この分類法は役に立つし、きっと本書を読む過程で自然と身につくだろう。

私も感情描写は大の苦手なので、良き表現ができるよう努力したい。

本書の不満点など

本書の不満点としては、感情の見出し語が「五十音順」で並べられているのがやや残念だった。

前述のとおり、本書中で紹介される「感情」は75種類しかない。なので感情表現を探そうとするときに、そもそも五十音順で調べる必要性がない。

感情項目を「喜怒哀楽」で並べるだとか、もっとざっくりと「ポジティブ/ネガティブ」で分けて掲載してくれた方が、個人的には親切であるように思う。

万人にはおすすめできないが、発想が面白い本

私が「小説書きならぜひ買ってみて!」と万人におすすめできるのは『てにをは辞典 ※レビュー記事』くらいで、この『感情類語辞典』については相当に人を選ぶかなと感じる。本書を使いこなせる人自体が、おそらく限られている。

ぶっちゃけ私も使いこなせていない。

購入については、Amazonの無料サンプルを見てから判断されるのが無難かもしれない。

感情描写のマンネリから脱出したい人にとって、本書が良きアイデアブックになれれば良いなと思う。

(了)

今回の紹介書籍


感情類語辞典(Amazon)

 

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