ときまき!

謎の創作集団による、狂気と混沌の執筆バトル。

リクガメを動物病院に連れて行った話

  飼っているリクガメの、上のクチバシがたいそう伸びていた。小松菜を食べさせてみると、伸びたクチバシが葉っぱを押し戻してうまく噛みつけないようだ。必死で口をパクパクとさせる。クチバシが邪魔をして、葉っぱを口の中に入れることができない。

 ロッシー(カメの名前)を動物病院に連れて行かねばと思った。病院に電話をかける。昔、ロッシーが風邪を引いたときにもお世話になった。

「ええ、大丈夫ですよ。では明日の朝お越しください」

リクガメの嘴

(写真:伸びたクチバシ ※野生下のリクガメは、地面に生えている野草を食い千切ったりする過程で自然にクチバシが摩耗するそうだ。飼育下だとクチバシやツメが過伸長しやすい)

  朝、まだ眠そうにしているロッシーを抱え上げて、体がすっぽり入るくらいのダンボール箱に入れた。底には新聞紙を敷き詰めてある。揺れた拍子に頭などをぶつけないよう、丸めた新聞紙も入れてやんわりとクッションを作っておく。ロッシーは外に出ようとして箱をガリガリと引っ掻いていた。リクガメは感情のわかりづらい生き物だが、十年も共に過ごしていると以心伝心で気持ちが通じる。ロッシーはとても不機嫌なのだった。

  朝九時、駐車場に車を停めた。ダンボール箱を両手に抱えて、動物病院の自動ドアをくぐる。待合室にはすでに、犬が七匹と、その飼い主さんが座っていた。犬たちはおとなしい。

【ロシアリクガメ:ロッシーちゃん♀ 12才☆ 毛色:―】と書かれた診察券を受付のボックスに入れて、私も椅子に座った。

  ロッシーは箱のなかで暴れていた。フタを開けてみると、なかで糞や尿をあらかた排泄してしまっていたようだ。私は汚れた新聞紙をポリ袋のなかに入れて、カバンから取り出した替えの新聞紙をダンボールの底に敷いた。

「わぁ、カメさんですかぁ」

 隣席の飼育者さんが興味津々で箱を覗く。

「はいリクガメで、以前は風邪で連れてきたのですが」「カメも風邪をひくんですねぇ。うちの子は予防接種で……」みたいな世間話を。リクガメは体の構造上、風邪を引いても咳やくしゃみができない。だから肺炎に移行して悪化しやすく、風邪といえども死に直結する恐ろしい病である。飼育者さんの連れているヨークシャテリアはこわばった表情で、ガリガリと音を発する奇妙な箱を見上げていた。

  名前を呼ばれ、私とロッシーは診察室に入る。診察台のうえにダンボール箱を置く。診察台には体重計機能があり、乗せるだけで動物の重さが測れるそうだ。緊急用だろうか、心臓に電気ショックを与えるための装置?が、台からぶら下がっていた。

 診察室の奥のドアが開く。獣医さんと動物看護師の方が入ってきて、私は軽くお辞儀をする。

 獣医さんは立派な黒ひげを生やした背の高いおじさんで、ハリーポッターの映画に出てくるハグリッドのような、優しい印象の人だった。看護師の方は好青年で、終始にこにこと微笑んでいた。

 獣医さんが箱から両手で取り出すと、さっきまで暴れていたロッシーは心底驚いたようで、顔と手と足を甲羅のなかにぴったりと仕舞い込んでしまった。完全なる防御形態である。数年前に風邪で連れてきたときは、抗生物質の注射を何本か打ってもらった。(前足の付け根あたりに注射針を刺すのだ)リクガメの記憶力は分からない。あのときの恐怖を覚えていたのかもしれない。

 リクガメの顔と手足がすべて甲羅に引っ込む姿は、飼育下では滅多に見ない。寝るときでさえ、カメは後ろ足をだらーんと伸ばしていたりする。

リクガメの昼寝

(写真:昼寝中のロッシー)

  獣医さんは胸にかけていた聴診器をロッシーの腹甲(おなか)に当てる。しばらくして、ロッシーの鼻の先を自分の耳に近づけて、目を瞑ってじっと音に集中をする。その間ロッシーは甲羅に引っ込んだまま微動だにせず、本当に石ころか何かになってしまったみたいだった。

「ああ、呼吸音は大丈夫ですね」

 獣医さんが言った。前回のカルテが残っていて、秋なので風邪を引いていないか心配してくれていた。私はほっとして、例のクチバシが伸びすぎている件について相談する。

 「なるほど診てみましょうか」

 と獣医さんが顔を覗き込もうとするが、完全に甲羅のなかに引っ込んでいて、おまけに顔は前足でがっちりとガードされている。クチバシの先すらも見えなかった。看護師さんがロッシーを後ろから両手で支えて、獣医さんが正面からゆっくり前足を横に引っ張る。ロッシーは必死で抵抗していて、意地でも顔を出さないつもりだ。

 「あはは、これは難しいかな」

 獣医さんは苦笑いしていて、私の方はなぜか緊張でドキドキしていた。

 そんなこんなで一悶着あり、やはりクチバシはカットした方が良いだろうという話になった。深見さんはここで待っていてくださいね、と言われ、ロッシーはそのまま抱えられて治療室に連れて行かれた。診察室の奥の扉が治療室に通じており、飼育者は入れない。

リクガメの嘴その2

(治療前の写真。上側のクチバシがかなり伸びていて、突き出ている)

 ひとり診察室の椅子に座り、時間が過ぎるのを待つ。壁には、飼育者から贈られた年賀状やメッセージカード、犬の正しい抱き方のポスター、予防接種の案内などが貼られていた。奥の部屋から電動工具のような音、看護師たちが慌ただしそうに歩いている足音などが聞こえてくる。犬がか細い声でクーンと鳴いている。リクガメは、鳴き声を出すことができないので、手術室でただひたすら声を押し殺して耐えている姿を想像すると、私はなんだか涙がこぼれてきそうになるのだった。

  私には何時間にも感じられたが十分ほど経った頃、獣医さんがロッシーを抱えて戻ってきた。ロッシーは相変わらず甲羅に引き篭もっていたけれども、クチバシはたしかに綺麗に切りそろえられて短くなっていた。

「二ミリほど削りました。まだ長いですが、これ以上切ると出血リスクもありますし。もしまだ餌が食べにくいようであれば連絡してください」

 私は獣医さんと看護師さんに深くお礼を述べて、診察室を出た。

嘴を削ったリクガメ

(治療後の写真。クチバシはまだ長いが、以前よりかは短くなっている)

  ロッシーは段ボール箱のなかで音一つ立てずじっとしている。

 会計は七六〇円だった。前回の風邪治療のときは、トータルで一万円近くした(もちろん医療保険はきかない)ので覚悟していたのだが、安くて驚いた。良心的な価格といえた。

  家に帰り、ロッシーを庭に放す。目の前にサラダ菜を置くと、ロッシーはやっと甲羅から頭を伸ばして、何事もなかったかのように葉っぱにかぶりついた。

リクガメとサラダ菜

 (おわり)

関連記事:リクガメは二足で立ち上がる

「ふぇぇ…炎上したよぉ……」「反省会をしましょうか」

ときちゃんの目論見どおり、昨日の記事はヒットしたようです。

当ブログ悲願の『ホッテントリ入り』&『100はてブ超え』を達成しました。もうすぐ200はてブに届く勢いですし、良かったで……ってあれ、元気ありませんね。

ふぇぇ…はてな民こわいよぉ……。

うちも80はてブくらいまではヒャッホーと舞い上がってたんやけど、次第に批判的なブコメとか言及記事が出てきて、100はてブ超えてからは恐怖で布団のなかに頭を押し込めてガタガタと震えてたんや。

『素敵な記事ですね! シェアさせていただきます!』みたいなコメントで溢れかえるかと思いきや、的を射た鋭いツッコミがぽこぽこ飛んできて、うちのライフはもうゼロや……。

なんという豆腐メンタル……。

承認欲求を糧にして炎上記事を書くことの危険性は『はてな村奇譚』で学びましたよね。焼畑農法のような手法で記事を書き続けていれば、いつしか自分自身が底のない承認執着の沼へと沈み込んでしまうのです。

昨日の記事への反論は、大別すると以下の3つに分類できます。

1.主張の「無根拠性」の指摘

主張「広告ブロックが導入されても広告主はダメージを受けない」

反証「主張には根拠がない。AdobeとPageFair社の共同調査によれば、広告ブロックによる損失額は2兆円以上と算出される」

このように、相手の主張内容の「根拠」に対してツッコミを入れるのが、もっとも効果的な反論方法です。主張には前提となる根拠が必要なので、ここを崩されると手も足も出ないわけです。

2.主張の「推論過程」への反論

主張「広告ブロック導入者は、広告が嫌いでもともと広告を見ない。ゆえに、はじめから商品訴求ターゲットから外してしまっても構わない」

反論「商品購買層である一般ユーザーにまで広告ブロックアプリが普及してしまうことが懸念されている。広告を嫌悪していないが、通信費節約やなんとなくでブロックアプリを使う一般ユーザー【カジュアルブロック層】の存在があるので、はじめから商品訴求ターゲットから外すのは間違いである」

これも有効な反論です。これはディベートだと『深刻性への反論』と呼ばれていて、「じつはたいした問題じゃないんじゃないか?」に対して、「いやいや、すごく重大な問題なんだよ」(逆パターンもある)とやる方法です。

よくある『メリット vs デメリット』対決では、メリット側が「デメリット側の主張する問題は深刻性がないだろう」と反論し、デメリット側が「いいや、深刻な問題だ」と争うわけですね。

3.拡大解釈へのツッコミ

主張「商品に興味のあるユーザーがバナー広告をクリックすることに意味がある。アドブロッカーは元から広告をクリックしないので、非表示にしても問題ない」

反論「クリックされずとも、バナーが表示されることには販促上の意味がある。商品に興味のないユーザーにとっても、バナーを見ることが商品を知るきっかけとなる。インプレッション(広告表示回数)は重要な指標のひとつである」

バナー広告を出稿するときに「クリックされないと意味が無い」か「バナーが表示されるだけでも意味がある」かは、広告主のビジネスモデルによって変わってきます。

例えば以前に言及した、アニメCharlotte番宣広告、ゲームソフトの咲-saki-全国編 PSvita、GOD EATERの発売日告知バナーなどは、バナーが表示されてユーザーの目に届くだけで目的を果たしているといえます。

バナーを見れば「あ、来月に○○の新作が発売されるのか。よし、Amazonで予約しておくかな」となるからです。だから、クリックされなくても良い。ゲーム発売の告知だけでなく、ブランドを重視する企業なども、広告が表示されるだけで知名度アップに繋がるので、それで良いのです。(だからこそ、クリック数だけでなく、インプレッション数で費用を取られるタイプのWeb広告が存在します)

ランディングページを作ってそこからの商品購入を目指している場合は、たしかにクリックされないと意味が無いのですが、そうでないケースも多々あるのですね。

「自分がそうだから、他の広告主もきっとそうだろう」といった拡大解釈的な推論飛躍に対するツッコミが、上記のものです。

一番反省していること

今回もっとも反省しているのは『会話形式のブログ』の利点を活かせなかったことですね。会話形式の記事では、ひとりの話者の主張に対して、もうひとりが反論するという『ディベート(討論)』を展開することが可能です。

つまり、ときちゃんの主張に対して、私がもっと的確なツッコミ(上で指摘したような反論)を入れて議論を深めていれば、もう少し良い記事にできたでしょう。

会話形式文体を効果的に扱えなかったのが最大の反省点です。これからもっともっと精進していきましょう。

新たに読者登録してくださった方ありがとうございます。

これからも『ときまき!』をよろしくお願いします。

(おわり)

広告ブロックでWebメディアは衰退しないし、アドブロッカーはフリーライドではない

燃え上がっている話題に便乗して、炎上PVを稼ぐのは正直どうかと思いますが……。

ええやん! どんどん燃やそ!!!

「Webメディア運営者 vs アドブロッカー」という対立構造の誤謬

広告ブロックのアプリが氾濫すれば、広告収益でブログやサイトを運営している人は、損失を被る。ゆえに広告ブロック問題を語るときに『Webメディア運営者 vs 広告ブロッカー』という対立構造が用いられるのんやけど、これは大きな間違い。

上の図のような構造は、前提として間違ってるんやね。

Webメディアがユーザーに対して、記事コンテンツを提供しているのは正しい。しかし『ユーザーがコンテンツの対価として、運営者に収益を与えている』というのは間違い。

上図のような認識だと『コンテンツの対価を支払わない広告ブロックユーザーはフリーライド(ただ乗り)をしている!!』といった発想をしてしまう。

実際は、ユーザーはコンテンツに対して何の対価も支払っていない。支払っているのは閲覧ユーザーではなくて、広告主や! ユーザーではなく広告主!!

よって正しい認識は次の図のようになる。

ユーザーは、興味のある広告をクリックするだけ。そして、広告主がWebメディアに対しての対価を支払っている。よって対立構造は『広告主 vs 広告ブロッカー』という視点から論じるべきやね。

何が違うんかって言うと『Webメディア運営者 vs 広告ブロッカー』であれば広告クリックは収益となるのに対して、『広告主 vs 広告ブロッカー』であれば広告クリックは費用となること。

広告主は、ユーザーがバナーをクリックするたびに費用を支払わなければならないのだから、Web運営者側とは正反対の考えをする。

『広告がクリックされれば(俺たちは)儲かるからいいんだ!』ではなく、『商品を購入する意欲のあるユーザー、商品に興味のあるユーザーにだけ、広告をクリックしてほしい』

広告主が望むこと

  • 誤クリックを避ける
  • 商品購買意欲のないユーザーのクリックを避ける
  • 商品購買層のユーザー以外へのバナー配信を避ける

こうすることで、余計な広告コストを削減できるし、1クリックあたり換算の儲けを最大化することができる。

Adblockユーザーはもともと、バナークリックして商品を購入する可能性の極めて低い人たちなので、彼らが広告を非表示にしたところで何一つ困らない。むしろターゲット選定の手間や、誤クリックが減ってありがたいくらい。

(ただしパケット節約とかの目的で、商品購買層にまでAdblockが普及して、広告ブロックが導入されるのはめっちゃ困る。そうなればうちは手のひらを返して「アドブロック滅びろ!!」と叫ぶ。広告嫌いな人が、広告を消す目的で入れる分には構わない。そうでないパターンが困る)

とにかくここで主張したいのは、広告が嫌な人がAdblockを入れたところで、広告主は何一つ損をしないこと。誤クリックや望まぬクリックが減るのであれば、嬉しい。そうなれば広告主としては、1クリック単価をもっと引き上げて出稿したって構わない。スポンサーが安泰でこれからも広告料を支払う意思がある以上、広告ブロックでWebメディアが衰退するわけがない。

せやから広告ブロックしてる人は「フリーライダー(タダ乗り野郎)」でも何でもない。元から広告配信すべきターゲットユーザーではないというだけの話。

以上、ダンガンロンパ!

最後に、ポジショントークと言われたくないから弁解するけども、うちは一切広告ブロックはしてないで。Webビジネスを営むものにとって『他社の広告』ほど貴重な情報源はないからな。バナー広告は誰よりもよく観察している自信がある。

ずいぶんと煽りましたね。もうどうなっても知りませんよ……。

もしこれで炎上したら、私だけ別ブログに逃げ込んで知らないふりをしますからね!

ええのええの、これでホッテントリ入りしたら、広告いっぱい貼って、まねまねマネタイズや!!

(おわり)

この記事の元ネタ(くっ…増田に釣られてしまうとは……)

関連記事

リクガメは二足で立ち上がる

 リクガメを飼育していて一番驚いたのは、彼が二足で立ち上がることだった。リクガメは私が考えているよりもずっとアクティブで、岩や植木鉢によじ登ったり飛び降りたりなどの立体動作は平気でこなす。そしてたまに甲羅からひっくり返ってしまって、自分では起き上がれなくなる。うかつに目が離せない。

壁により掛かるリクガメ

 壁面により掛かるようにして、彼は身を起こす。何だこの程度かとがっかりされたかもしれない。でもまだ本気を出していない。

すだれを押しのけるリクガメ

 転落防止と日除けのために、上にはすだれをかけていた。いともたやすく前足で払いのけられてしまった。彼は壁の向こう側のセカイを目指しているようだ。

立ち上がろうとするリクガメ

 外に出たがっているようで、切なくなってくる。今度散歩に連れて行こうと思った。

直立するリクガメ

 完全に、二本の足で直立している。アルプスの少女もびっくりだろう。その姿にはどこか力強い意志を感じる。

チンゲンサイを食べるリクガメ

 壁を乗り越えそうな勢いなので、慌ててチンゲンサイを見せると、すぐに戻ってきた。このヨツユビリクガメは完全草食性とされる。チンゲンサイやコマツナなどの生野菜のほか、タンポポ、オオバコ、カラスノエンドウ、クズ、猫じゃらしの葉っぱなどの野草を好む。バナナやイチゴやメロンなども大好きだが、果物の上げ過ぎは健康に良くないそうである。タンポポの黄色い花や、シロツメクサ(クローバー)の花も大好物だ。

 爪と嘴がだいぶ伸びてきた。来週にでも動物病院に連れて行こうと思っている。リクガメは冬眠をする。けれど飼育下では、室内で冬越しをさせるため、けっこうな暖房代がかかる。餌も、ドッグフードやキャットフードのような万能食が存在しないから、野草の採取や家庭菜園に勤しむ必要がある。それから床材の土も交換しなければ……。

 このようにリクガメ飼育はなかなかの手間暇がかかるのだけれど、かわいい。生涯付き合っていきたい生き物だと思った。

(おわり)

はてなの『ヘッダー』を消すと一部Androidブラウザでブログがスクロールできなくなる問題について

 スマホ版はてなブログの、上部に表示されるヘッダー。

 はてなブログProのユーザーであれば、cssを追記して、display:none;で消すことができる。あるいは、レスポンシブ対応のテーマを使えば、『設定』→『ヘッダとフッタ』から、非表示にすることができる。

 このようにしてヘッダーを消した場合に、ごく一部で起こりうるバグについて紹介する。

Androidブラウザ2.3系だと、ブログがスクロール不能になる

 Androidのスマートフォンには『ブラウザ』という名前のブラウザアプリが標準装備されている。なかでも2011年頃に普及したAndroid version2.3系のブラウザはいろいろと不具合が多く、多くのWebデザイナーが泣かされた。

(例えば『ページトップへ戻る』のアンカーリンクが無効化されたり)

 なかでも隠しコマンド的なバグとして恐れられたのが『iframe要素をdisplay: noneすると、スクロール不能になる』というもの。ページがスクロールできなくなるので、実質的にその端末ではコンテンツが読めなくなる。致命的だ。

 お気づきのとおり、はてなブログのグローバルヘッダーはインラインフレーム(iframe)である。ゆえにヘッダーを消すと、ごく一部のAndroid端末では不具合が生じる。

 実機(NEC N-06C MEDIAS WP N-06C for DoCoMo/Androidブラウザver 2.3.3)で確認してみたところ『ヘッダーを消しているはてなブログ』の30のうち6ブログは、当機ではスクロールができずに記事が読めなかった。

 じつは昨日、ブログ開設一周年記念にブログデザインを変えたのだが、このときに発覚したのがこの問題。原因を突き止めるのに休日を6時間も消費してしまった。悔しい。

対処法はあるの?

 css追記での対処は難しいと考えられる。

 bodyの「overflow:hidden」を「scroll」で上書きして、#wrapperで再び「hidden」かけるとか……したら行けるのかもしれないが、すごくモヤモヤする。

 あるいは、display:none以外の方法でヘッダーを消してみるとか。

 position:absolute; bottom:-999999;のたぐいの禁術を使って、『ヒャッッハーーーー!!! ヘッダーもろとも宇宙の果てまでぶっ飛ばしてやるぜーーーーーー!!!!』みたいな。いや、これはオススメしない。それこそどんな不具合が起こるか分からないし、SEOでペナルティを受ける可能性がある。

対処法1.ブログのデザインテーマを変える

 スマホ版ヘッダーを非表示にしているはてなブログでも、30のうち24は問題なくスクロールできた。つまり多くのブログでは、ヘッダーを消しても大丈夫ということ。ごく少数の「デザインテーマcss」と「ヘッダー非表示css」が融合し、そこへさらに希少種である「Android 2.3.x」が加わってこの奇跡的なバグは発生するらしい。

対処法2.ヘッダーを消すのをあきらめる

 途中で考えるのが面倒になって、このブログでは結局ヘッダーを消すのはあきらめた。はてなユーザーであれば、むしろヘッダーがあった方が何かと便利なので(すぐに記事を投稿できたり、購読中のブログを確認できたり)まぁいっか☆と思った。

 ヘッダーの『追尾機能*1』は画面が狭くなるのが嫌だったので、css追記でオフにした。

 具体的には「#globalheader-container {position: fixed;}」を {position: relative;}で上書きする。absoluteでも可。使用テーマによってはセレクタの指定方法が変わってくる。

 Proではヘッダーを消すのがOKなくらいなので、追尾機能を消しても怒られることはないだろう。(公式テーマでも追尾しないタイプのがあるし)とにかくこれで、スクロールしてもヘッダーがついて来ない。バグも起こらない。

対処法3.対処しない

 おそらくこれが一番良いだろうと思う。今回の事例ははっきり言って、超レアケースである。Androidブラウザver2.3.3は、未来には完全に消えゆく運命だ。2015年でver 5.1まで更新されているので、わざわざこんな古いブラウザでネットを見るユーザーは少ない。今ならSafariだってChromeだってOperaだってスマホで使える。

 対処しなかったところで、SEO(モバイルフレンドリー)への影響は皆無であり、Adsense等の収益への影響もほぼ無いと断言できる。

 つまりは、気にしないのが一番ではないかと。

おわりに

 ここまで引っ張っておいて、こんな結論になってしまってなんだか申し訳ない。個人的にはけっこう悩んでいた問題で、こと「はてなヘッダー問題」に関してはググってもまったく情報が出てこなかったので、もしかしたら自分と同じような人が検索してきたときの助けになればと、記事を書いた。以上、お役に立てれば幸いである。

 

(おわり)

*1:ページをスクロールしてもヘッダーが上部固定されたままついて来るデザインで、現代ではお洒落だとされている。ツイッターなどが有名

フルフル

 不登校してた頃、パソコンやスマホはなかったので、部屋に引きこもってゲームばかりしていた。でもゲームは得意じゃなかった。

 PSPって携帯ゲーム機で、はじめて買ったのが「LocoRoco」ってソフト。ロコロコ、かわいい。ミカンをふにゃふにゃにした感じのゆるキャラが、飛んだり跳ねたりするゲームだ。LとRボタンしか押さなくていいので、これなら私にもできると思った。甘かった。

 チャカレチャパッパ、フニャラカラッパ、チャッパリスッポンポン♪みたいな気の抜ける音楽とともに、かわいいミカンが「ワヒョーイ」と元気に飛び出していって、野に咲いている花をむしゃむしゃ食べると、ミカン君は大きくなる。大きくなりながら飛び跳ねて、ゴールを目指すのだけれど、道の途中で黒いオバケに襲われてあっけなく死んだ。かなしい。死ぬ間際に「ヒュー! ギャララッパポーイ!!」とミカンは叫んだ。ミカンは、私に何を伝えようとしたのだろう。

 

 次にやったゲームは「モンスターハンターポータブル」だった。まだ学校に通っていた頃、クラスの男子たちが休み時間によく話題に出していた。私は血が出たり生き物を殺したり、そういうゲームは苦手だし、そのときはまったく興味がなかった。でも昼休みになると図書室で、ホラーの短編集を読んでいた。なんでホラー小説は好きなんだろう。うまくは説明できないけれど「私が今ここに生きていること」をホラー作品は肯定してくれているような気がした。

 兄の勉強机の本棚に、「モンスターハンター」のソフトが立てかけられていて、思わず手が伸びた。「やっていい?」と訊いたら、兄は振り向かずに「やるよ」と言った。兄は今日もパソコンとにらめっこしていた。就職のサイトを見ているのだと思う。

 モンスターハンターは画面が綺麗でびっくりした。ロコロコはシンプルなイラストだったけれども、モンハンは目の前に現実が広がっている。雪山のふもとにある村にたどり着いて、私は村長からお仕事をもらった。はじめのうちは、森でキノコを採取する簡単なお仕事だったけれども、やっぱりモンスターハンターだから生き物を狩ってこなければダメだよと村人に言われた。

 

 湖のほとりで、牛みたいな生き物がのほほーんと草を食んでいた。私は手に持っていた刀で、恐る恐る牛を斬り付ける。その草食動物は人間に慣れているのか、近づいても逃げないのだ。鮮やかな赤の血が飛び散って、私はびっくりした。牛は悲鳴をあげて力なく地面に倒れ込む。ポケットに入れていた小型ナイフで毛皮を剥いで、肉を手に入れた。私はモンハンを貴族の嗜みのようなものかと考えていたけれど、誤解だった。《狩猟》は人間が生きるための行為そのものだった。

 その後、私は狩人として生き始める。かわいい鹿とか、ペットにできそうな子豚とか、切り刻んで殺した。はじめは罪悪感がすごかった。世界は弱肉強食なんだ。現実では明らかに強者に食われる、こんな弱い私が、罪のない命たちを殺生していて良いのだろうかと悩んだ。

 ある日、山で暴れていた凶暴なイノシシの討伐依頼が出た。危うく死にかけながらも、なんとかやっつけた。山から村に戻ると、みんなに「よくぞ村を救ってくれた」と感謝されて、嬉しかった。私でも役に立てることはあるんだと思った。

 

 朝、家を出て朝日を浴びていると、村長さんがやってきて言った。

「そろそろお主も一人前の狩人じゃし、フルフルを狩ってきて欲しいのじゃ」

「フルフル、ですか……?」

 聞いたことのない生き物だった。かわいい名前。きっとハムスター、いや真っ白でモコモコしたうさぎちゃんみたいなモンスターなのだろう。私はそんなかわいい生き物を狩るのは嫌だったけれど、村長さんの頼みは断れなかった。

 フルフルはやはり雪うさぎの類なのだろう。雪山に生息するとのことだった。

 私はホットドリンク(味はおしるこである)を飲んで寒さをしのぎ、雪山の頂を目指した。手がかじかんでいて、刀の柄を握るのが痛かった。はやく済ませて帰ろう。  

 山頂にたどり着く。あたり一面が雪に覆われていた。

 ふいに、バサッ、バサッと頭上から羽ばたく音が聞こえた。カラスかな?と思って見上げると、5メートルくらいはある巨大な、雪見だいふくみたいな物体が落っこちてきた。

 不気味な白い巨体からは、ちくわのような首がにょきっと突き出ていて、真っ赤な口紅をつけた大きな口がひとつ、笑っている。体は白いが、毛は生えていない。ゴムみたいにぶよぶよしている。四本足で直立していて、おしりからはトイレのモップのような形のしっぽが、ぴょんぴょんと揺れていた。それはモンスターというより、ホラー小説に出てきそうなオバケだった。オバケは顔をこちらに向けてにやりと笑った。目はない、のっぺらぼうだ。口だけが笑っている。

「フョオオオオオオオ!!」とそいつは叫んだ。

 私は一目散に逃げ出した。洞窟のなかに入り込むと、さすがに奴は追ってこれないようだった。

「なに。あれ……」

 ホットドリンクの効果が切れた。私はうずくまって、身体を震わせる。まさかあれがフルフルなのか。ネーミング詐欺ではないのか。  

 詳しくは知らないけど、都市伝説で「くねくね」というのを聞いた。くねくねは正体不明のオバケで、それを見ると発狂してしまうらしい。まさにそんな感じだった。

 戦わなければならない。足はまだがくがくしていたけれど、刀を杖代わりにしてなんとか立ち上がった。こんなことなら、弓か銃を持って来れば良かったと、後悔した。

 山頂に戻ると、白いオバケ、フルフルはまだそこにいて尻尾を地面に突き立ててなんかプルプルしていた。

 刹那。

 フルフルの体からほとばしる、無数の稲妻。

 辺り一帯の地面が焦土となり、積もった雪が黒く融ける。

 フルフルがこちらを振り向いて、目が合った。いや、フルフルには目がないから、口と口が合ったというべきか。すごく嫌だ。

 私はもう恐いけどやけっぱちになっていて、訳の分からない言葉を咆哮しながら突撃する。両手で持った大太刀をめちゃくちゃに振り回しながら。フルフルは醜く口を歪めると、大きな巨体を一回転させる。しっぽのゴムに刀身が弾かれて、私は体ごと吹っ飛ばされた。

 間髪を入れず、フルフルが電気をまとった体で飛びかかってきた。なぜ絶縁体の塊のようなこいつが電気を操れるのか不思議だったが、私は刀を捨てて逃げる。でも寒さでスタミナが持たず、転んでしまう。背負っていたリュックの紐が切れて、雪の上に落ちた。すぐ目前に、悪魔の唇が近づく。フルフルは大きく口を開いて、それは私の身体丸ごと飲み込もうと迫った。嫌だ、死にたくない。

 一瞬、村長さんや村人たちの優しい笑顔が記憶を過ぎった。そうだ、これは神から私への罰なのだ。ずっと現実からも自分からも逃げて、前を向かなかった私への。私はここで死ぬ、殺される。でも嫌だ、こんなブヨブヨのちくわオバケなんかに――。

「殺られてたまるかあああああああああ!!!!!!」

 コンマ一秒の差で初撃をかわす。巨大な歯と歯が空を切ってかち合う音が聞こえた。背後には断崖絶壁、次は避けられない。だが時間は十分だった。なぜならリュックのなかの大タル爆弾には、すでに着火準備がされていたのだから。

「フョョョョョョョョョョョョ!!」

 フルフルが全身から電気を発生させる。それが奴の死にどきだった。

 ……、……着火。

 合計3個の大タル爆弾が、一斉に爆発する。

 爆風に巻き込まれる瞬間、私はふっと笑った。思えば、私もフルフルも、同じだったのだ。醜くて、疎まれて、寂しくて、彷徨って、ただ孤独に叫んでいる。誰にも理解してもらえない。だからせめて、私がこいつと一緒に、死んでやるのだ。

 

 さようなら、そしてごめんなさい。

 その日、村の北方に位置する雪山から、一筋の煙が立ち昇ってゆくのが観測された。村人は事態を察し、手を合わせて祈ったのだという。その後捜索が行われたが、若い狩人と、討伐対象であるフルフルの遺体はついに発見されなかった。

 

「ミユキ! ミユキ!」

 扉の向こうから、兄が私の名前を呼んでいた。

「いったいいつまでゲームしてるんだ。夕食だぞ」

 兄はあきれた様子で言うと、すぐにリビングの方に歩いて行った。

 私は、扉を開ける。

 

 そうだ、私の戦いは、ここから始まるんだ。

 

(終わり)

 

※この記事は実在するゲームを題材にした体験記ですが、一部創作を加えており、実際のゲーム内容とは異なる描写が含まれています。また物語はフィクションであり、実在する人物・団体・雪見だいふくとは一切関係ありません。

※元ネタ ロコロコ - Wikipedia モンスターハンター - Wikipedia

 

デレたGoogle先生と、僕とアフィリエイト。

「GoogleAdsenseは転職サイトばっか紹介せずにもっと萌える広告よこせや(ゴルァアアア!」

 と先日ブログで書いたら、どうやらGoogleの偵察botが記事を読んでくれたようだ。なんかやたらと『PS Vita「咲-Saki- 全国編」』の広告が出てくるようになった。嬉しい。

 褒めた甲斐があったぜ。よしよしって頭を撫でてあげたい。わかったわかった、咲-Saki-は発売されたら絶対に買おう。これは約束だ。PSP版の頃からプレイしていて、次回作まだかと5年も待ち焦がれていたのだ。

 もしかしたら、萌えバナーだけをクリックするようにすれば、Googleの方で「あ、こいつ二次元にしか興味ないのか(察し」って感じで学習して、広告を最適化してくれるのかもしれない。

 

 なんてことはなく、種明かしをしてしまうと、じつはGoogleアカウントの設定をちょっといじっていた。手順は次の通り。

  1. Google Accountsにログインする
  2. 『個人情報とプライバシー設定』→『広告設定』→『広告設定を管理』と移動
  3. Google 広告の管理』というページで『興味や関心』を設定することができる
  4. ここで僕の場合は「アニメ・漫画」「ゲーム」を登録した

 なんと上記の方法で、配信される広告のカテゴリを大まかに設定できるのだ!(他のカテゴリを除外できるわけではない)

 最近似たような広告ばかりでつまらないな、という人は、このページで新しい『興味や関心』を追加しておくのも手。

 

 前置きはさておき。

 アフィリエイトで稼ぐというと「不労所得」の四文字がつきまとうが、あれは情報商材のなかだけの話で、実際のところは「過労所得」なのだ。

 かつて僕がアフィリエイト事業をしている会社の従業員だった頃、アフィサイトやアフィブログを数千個単位で量産していて、みんな一日に二万文字くらい書くのは当たり前の世界だった。なんと恐ろしいビジネスだと思った。Google先生がパンダとペンギンの刺客を送ってあの会社をぶっ潰していなければ、僕は今でも社内アフィリエイターをやっていただろう。

 本業でアフィリエイトをやるための『一日二万文字』という数字は驚異的だ。毎日それだけの文字数をコンスタントに書けるならば、たぶんプロ小説家になるのに然程時間はかからない。僕は、挫折した。でもイケダハヤトさんなら、きっと余裕で書ける。

 上の記事で彼は『ぼくは今や、1日15本の記事を生産できます。(引用)』と豪語している。1記事あたり2000文字だとすれば、1日で3万文字だ。凄まじい。書ける人は時速6000文字くらい平気で書けてしまうので、ほんとうにすごい。煽りスキルの高さでネガティブなブコメを集めてしまうけれども、イケダハヤトさんはプロフェッショナルなのだ。憧れるとか羨むとかいうベクトルではないけれど、尊敬する。恐れ入る、の方が近いかもしれない。

 

 今日においては、アフィリエイトで、薄っぺらい内容のゴミサイトを何千も量産するのは「クールじゃない」と言われるようになってきた。「クールじゃない」のは当時から分かっていたが、稼げたからそれで良しとされた。クールじゃない輩を「薙ぎ払えッ!!」で一掃してくれたのがGoogle先生のペンギン・パンダアップデートだったのだ。

 そんなわけで「コンテンツ・イズ・キング」の台頭である。アフィリエイトで稼ぐにはなかなか良い時代になった。しかしそれでアフィリエイトが不労所得となることはなく、やはり一万文字、二万文字をひたすら積み重ねてゆく地道でこつこつとしたビジネスであり、はぁサマージャンボ宝くじ当たらねぇかなぁって感じである。株式投資で一攫千金できたら良かったのだけれど、持ち株は「日経の下げには連動するけれど、上げには連動しないタイプ(よくある」の銘柄で、今日は家に帰ってきて『日経平均株価 前日比+1343.43』の歴史的暴騰のニュースに心ときめかせ、わくわくと証券会社のサイトを開き、持ち株のチャートみたらまだ年初来安値をうろうろしていて「なんでやねん!」とAmazonのダンボール箱を放り投げたのであった。

 

 とかく生きるのは難しい。お金ってやつは臆病者で、なかなか懐に入ってきてくれないくせに、逃げ足だけは速い。この世界で懸命に生きる人たちを、僕は尊敬している。

 生きる、生き残ってみせる。天文学的に膨大な《言葉》に溢れた、このネットの世界で。

 

(おわり)

 

広告にあふれたネットメディアが楽園となる日まで

 

 GoogleAdsense広告は、今日も誘惑する。

  • 「転職しませんか?」
  • 「今の会社、不満じゃないですか?」
  • 「年収アップするかもしれませんよ?

 

 就職関連のバナー広告に出くわすたびに、僕はその広告をブロックするのだけれど、転職市場は果てしなく膨大なようで、消しても消しても切りがない。

 これはAdsenseに限らず、Twitterのプロモーション広告でも同様だ。どれだけブロックをしても、転職サイトの広告が次から次へと湧いてくる。もぐらたたきをしているみたい。

 僕は、もともとネット広告に対して嫌悪感は抱いていない。広告のキャッチコピーやバナーデザインを眺めるのは好き。だが……、度が、過ぎる。

 仕事からの現実逃避でネットに逃げれば、転職広告が追いかけてくるホラー。逃げても逃げても彼らは待ち伏せていて、ギャルゲーの情報を収集しながらも自分のキャリアビジョンについて頭を悩ませるハメになる。

 

 婚活系の広告も多い。アニメを見ようとニコニコ動画にアクセスすれば「独身ってつらいよね?」みたいな婚活サイトのバナーが待ち構えている。夜の砂漠を吹き抜ける冷たく乾いた風が心に届き、寂寞の念にもがき苦しむ。

「助けて! アドブロック!!」と叫びたくもなる。※実際に入れたことはない

 

 思うに、Googleはもっと柔軟に、ユーザーに選ばせてほしい。

「就職関連の広告はもう見たくないけれど、エンタメ関連の広告は見たい!」といった風に。そうすれば、スポンサードリンクにあふれたネットメディアの世界が、今よりずっと快適になる。

 例えば自分だったら、こうする。

「転職、婚活関連の広告は、配信停止に。代わりにアニメ、ゲーム、漫画の広告を配信してほしい。萌え、とにかく萌えるバナーをよこせ!」

 テンションが上がって、クリックしまくると思う。

※最近見かけたものでテンションの上がったバナー広告は、アニメ「Charlotte」番宣と、PSVitaのゲーム「咲 saki~全国編」、エンタメ以外だとレンタルサーバーロリポップのバナーも、可愛いイラストで萌える。楽天の婚活サイトのバナーも萌え絵が素晴らしいのだが『今日も明日もぼっちなんですね、わかります』のような煽り文句を入れてくるので、おのれ許すまじ!

 

 広告はひとつのコンテンツであり、それ自体が価値を持つ。もっと積極的にポジティブに、Google先生には攻めていって欲しい。(マウスオーバーしたら拡大するとかではなく)

 ユーザー個々の検索クエリによる広告選別は、たしかに優れた技術ではあるのだけれども、いかんせん検索キーワードというのは個人のプライベートに立ち入りすぎる。例えば肥満や病気に悩む人に、ダイエットサプリや健康食品の広告を出すことが、果たして有用とは限らない。かえって強迫観念のように苦しめてしまうケースがある。

 一応、検索クエリに紐付けられた広告選別はGoogleアカウントの方でオプトアウト(連動を断ち切ること)ができるものの、もう少しの柔軟性が欲しいところ。

 

 今回の結論「ユーザーに広告を選ばせて!」

 

(終わり)

 

ピンクのゾウが飛んでいるので絶望的だと思った

 ピンクのゾウが飛んでいるので絶望的だと思った。残された時間は少ない。

 学校の帰り、友人とサーティーワンに寄ってアイスクリームを食べていた。友人は抹茶が、私はベリーベリーストロベリーがお気に入りだった。

「ねぇ、好きなアイスが、その人にとっての理想の恋の味なんだって」

 他愛のない会話をしていたはずだったのに。抹茶味の恋愛とはどのようなものなのかについて、これから盛り上がるところだったのに。

 台無しだ。店から出た私たちを待ち受けていたのが、ピンクのゾウだったからだ。

 呆然と立ち尽くしている。ふと横を見る。

 友人の、肩まで伸ばした長い黒髪から覗くその瞳は、怯えよりもあきらめのようなものが混じっていた。

「もうすぐ、鐘が鳴るね……」

 友人が消え入るような声で言った。まるで幽霊が成仏する寸前のような。私はそんな言葉を聞きたくなかった。

 ぎゅっと彼女の手を握る。二度と離すものか。

 遠くの空で、ピンクのゾウが雲から雲へ跳ね回っている。ゾウはときどき鼻を竹とんぼのように回転させて、くるくると宙返りを披露してはニタニタと笑う。ゾウは空を跳ねたり回ったりしながらもこちらへ近づいてくる。今は一匹だけだが、やがて大群になるだろう。嫌な予感がした。

(じきに本降りになる……)

「逃げよう!!」

 私は友人の手を強く握り締め、駈け出した。友人は息を切らせながらも引っ張られてついてくる。

「ムリ……、どうせ間に合わないよ……」

 彼女の言葉を無視して、ひたすら丘の上を目指した。じきに鐘がなる。セカイの内側でしか存在できない私たちは、多分消える。でもセカイに投げ込まれたときから私たちは、不条理さと戦わなければならないのだった。それが生きるということだから。

「きゃっ」

 友人が短く叫んだ。振り返ってみると、すでに無数のゾウが眼前の空へと広がっていた。ゾウは雲を食べ過ぎたのか、ゴム風船のようにパンパンに膨れている。ゾウの真っ赤なお腹がゴロゴロと鳴り出した。ゲリラ象雨にならなければいいけど。

「もう終わり……こんなことなら死ぬ前に大納言小豆味も食べておけば良かった……」

 友人はさめざめと泣いているようだった。私は最後の晩餐に食べるなら大納言小豆よりもラムレーズンのアイスが良かった。

「まだわかんないじゃん!! 生きることをあきらめない!!」

 言っていて、おっ、これは少年漫画の主人公の台詞っぽいな私かっこいい!と思ったが、友人が本気で泣いているのを見てすぐに言ったことを後悔した。

 慰めの言葉をかけようとして、私は慌てて親友の名前を口にしようする――、も、言葉が出てこない。あたりまえだ。名前なんて最初から無いのだから。

 彼女は私から手を離した。私は必死に抵抗したけれど、走ったせいで手が汗でヌルヌルしていて、駄目だった。彼女は自分の手のひらを食い入るように眺めている。手の形をグーにしたりパーにしたりして、感触を確かめているようだった。

「わたしたちって、ほんとに生きているんだよね」

 懇願に似た彼女の問いかけにしかし、曖昧に頷くしかできなかった。

 生きるってなんだろう。存在するってどういうことなのだろう。

 ピンクのゾウが空を飛び回っているようなセカイで、どうやって、自分が今ここに生きていることを証明できようか。

「わたしたちって、ゾンビじゃないよね」

 私は黙って首を横に振った。ゾンビよりもっと酷いかもしれない。ゾンビには少なくとも確かな実体がある。

 絶望する友人が居たたまれなくなって、思わず抱きしめる。身体のぬくもりを、彼女がたしかに存在するという証拠を、確認しておきたかった。

 よしよし、と頭を撫でる。心臓の鼓動も、胸のあたたかさも、シャンプーの香りも、たしかにそこには在った。けれども現実感だけが、ジグソーパズルのピースが零れ落ちるかのように、どんどんと欠落していった。ゾウが空をピンク色に染めていた。

 踊りつかれたゾウが、地上に落ちてきた。あちこちで爆発が起きて、そのたびに地面が震える。悔しいけれど、逃げられないことを悟った。もしも生きて戻れたらダサピンク撲滅運動をしてやろうと思った。

「わたしたちって、親友だよね」

 耳元で彼女が言った。最期に友人の顔が見たかった。顔を見せて、と言うと、彼女は顔をあげてくれた。前髪をそっと掬ってみる。

 彼女は努めて笑おうとしていたが、それは笑顔と呼ぶには悲しすぎる表情だった。

「帰ったら絶対、また一緒に――、――」

 アイスを食べに行こうね、だったかもしれない。恋をしようね、だったかもしれない。言いかけたとき、友人が私を強く突き飛ばした。

 瞬間、彼女の居た場所を目掛けて降ってきたゾウ、ゾウが友人を圧し潰した。ゾウは満足げに微笑んで、私が助けようとする間もなく、爆発した。

「――!!」

 私は友人の存在しない名前を呼ぼうと、ただ音にならない声を空に向かって叫んだ。

 ゾウが、ゾウが。

 頭に血がのぼる。沸騰する。

 激情が炎となってセカイを燃やす。燃やせ。灼熱。熱さ。この張り裂けそうな痛みだけを紛れも無い現実と実感し、決して忘れぬよう胸に刻み付ける。

 友人が、消えた。そしてもう二度と会えないことを、私は知っていた。

 ピンクのゾウが飛んでいるので絶望的だと思った。その瞬間に、セカイが《夢》であると気づいてしまったのだから。セカイは崩壊し、夢は醒めることが運命づけられている。

 友人が消え、私が生き残った。つまり彼女が思考を持たぬ(哲学的)ゾンビであり、私が夢見者だったということ。

 でもたとえ彼女が、夢のなかの幻に過ぎなかったとしても――。

「私の親友だったんだッ!!!!」

 目の前にいるゾウを殴り飛ばした。怒りのすべてをぶつけてやる。

 ゾウは破れた風船のように空の彼方へ吹っ飛んでいった。また別のゾウが飛び掛ってきた。あたり一面がゾウに覆われていた。切りがない。

 そしてゾウも怒っているのだった。ピンクのゾウが、真っ赤に燃え上がる。セカイが炎に覆われる。熱い、痛い、苦しい。でも戦わなければダメだ。

 これは友人の弔いであり、現実への復讐であり、私が今ここに生きていることの証明だった。

 一撃、ゾウの鼻を掴み投げ飛ばす。炎が私のセーラー服にも燃え移った。どうして夢のなかなのに、これほどに熱さにリアリティがあるのだろう。

 おそらく目が覚めたら私は、友人のいない、孤独な女子高生なのだ。

「友人がほしい」という願望が、私にこんな夢を見せたのだ。

 多分ほんとうの私は、クラスで孤立している。ぼっちだ。

 それが現実、だとしても。

 忘れたくない。このセカイに親友がいたことを。

 一撃、ゾウの突進を受け止める。白いキバが胸を貫いた。ぱっと見、ゆるキャラにしか見えない、このふやけたピンクのゾウが、こんな牙を隠し持っていたとは、不覚だ。

 おそらく目が覚めたら私は、夢を見たことも忘れてしまうのだろう。誰と話すこともなく一日が過ぎてゆく、憂鬱な高校生活。そんな私が夢見た友だち。

 それが空想、だとしても。

 忘れたくない。彼女が最期に見せた悲しい笑顔を。

 一撃、たくさんのゾウがのしかかってきた。全身が押し潰される。骨がきりきりと軋む。薄れる意識のなか、ゾウも寂しいのかな、とふと思った。

 おそらく目が覚めたら私は、立ちはだかる現実に絶望するのだろう。でも、もう逃げない。諦めない。戦うんだ。不条理なんてぶっ飛ばしてやる。

 消えたくない、消したくない、記憶も、感情も、感覚も、友人の顔も、友人の声も、友人の言葉も、私の想いも、絶対に、忘れてなるものか。

 私は現実で、生きるんだ!!!!!

 遠くで鐘の音が鳴る。

 ――――――。

 ――――。

 ――。

 

 そのとき大音量で、携帯電話のアラーム音が鳴った。

 

「ふわぁあぁ」

 僕は大あくびをする。

 随分と寝苦しい夜だった。熱帯夜マジ勘弁。

 いつの間にか胸の上に乗っていた『萌え抱き枕』をベッドから投げ飛ばす。

 寝苦しいはずだ。寝違えたのか、首の辺りが痛かった。

 うーんと伸びをして携帯電話の時刻表示を見ると、午前六時を表示していた。

「やれやれ、今日も出勤か……」

 お盆休み欲しい。切実に。

 僕はそれから髭を剃り、シリアルを食べて、スーツを着て、いつもどおりの電車に乗った。お盆なので普段の通勤列車が空いていてラッキーだったが、よくよく考えてみれば通勤列車に乗っている時点であまりラッキーとは言えなかった。

 車窓から雲を眺めていて、ふと思い出した。

(そういえば今朝はエキサイティングな夢を見たような……)

 そうだ、ピンクのゾウが空を飛ぶ夢だ!!

 何か肝心なことを忘れている気もするが、とにもかくにもピンクのゾウだけは確かだった。

(ふっ、ピンクのゾウとは縁起が良いな……、良い、のだろうか……)

 なんだか今年はサマージャンボが当たりそうな気がするぞ。

 僕は六億円の使い道を妄想しながら電車のなかでニヤニヤとほくそ笑んでいた。

 一瞬、脳裏に女子高生の悲痛な顔が浮かんだが、

「恐ろしい恐ろしい」

 僕は綺麗さっぱり夢を忘れることにした。

 ああ、でも、生まれ変わったら女子高生になりたいなぁ……。

 

 【終】

 

 忘れたくない、という潜在的な恐怖が、自分に小説を書かせるのだった。

 

 

 この記事は

【夏休み特別企画】納涼フェスティバル開催のお知らせ - 短編小説の集い「のべらっくす」

 参加作品です。(文量約3500文字)

 怪談やホラーストーリーは大好きなので、封印されし左手が疼くのを止められず今回初めて参加しました。(参加方法これで合ってるのかな。間違ってたら教えて下さいm(_ _)m)

 参加作品一覧は

【夏休み特別企画】納涼フェスティバル 作品一覧 - 短編小説の集い「のべらっくす」

 ここから読むことができるようです。

 応募〆切は8月20日(木)とのこと。面白い企画なので盛り上がったら良いなと思います。

 

(おわり)

 

 

私撰、刺激的な小説(暑さを恐怖で吹っ飛ばす厳選12冊)

あついねー、あつくて溶けてしまいそうやわ。

生まれ変わったらクラゲになりたい……。

 

画力が溶けてる!!!

きょう紹介するんはアレやね、あれあれ。

本読んだから、えーっと、おすすめのを、えーっ、読書の夏ってことで……いやしかし読んだ本って1年も経てば記憶からすっかり抜け落ちて感想書けへんのやけどな、ぶっちゃけ。

筆力も溶けてる!!!

私的に読んで良かったと思える刺激的な小説まとめ

※昔に読んで内容を忘れているものが多いためあらすじ紹介はできない。でも良かったことは覚えているんだ……。

※刺激的/暑さを恐怖で吹っ飛ばす、とはいっても、紹介する作品はホラーとは限らない。ホラーではないが、痺れたりぞっとしたり打ちのめされたり憂鬱になったり心を闇のなかにずぶずぶと沈めてくれそうな素晴らしい小説も紹介していきたい。

1.黒冷水(羽田圭介)

 兄弟、姉妹がおる人は「あるある」と思うやろけど、妹とか弟って、兄姉の勉強机の中身をこっそり覗いたり荒らしたりするやろ?(うちは「机荒らし」って呼んでるけども)『黒冷水』は、兄弟間の「机荒らし」が次第にエスカレートしていくホラーテイストな話なんや。

 書かれたのは2003年。当時はネット上のエロ画像(動画やったかな?)を保存するのに何時間も待たんとあかんかった云々っていう、時代を感じる描写が作中にちらほらあったり懐かしい。何にせよ、描写の圧倒的リアリティやね。弟の兄に対する劣等感、兄の弟に対する優越感、この2つが鮮明に醜悪に描かれている。

 ヒューマンホラーといってもええのんかな。人間の醜い部分を克明に映し出す。

 ちなみに著者の羽田圭介さんは、今回、又吉直樹さんと一緒に芥川賞獲った人やで。受賞作はまだ読んでないけども、好きな著者さんが受賞するのは一読者としても嬉しい限りやね。


黒冷水 (河出文庫)

2.追想五断章(米澤穂信)

 米澤穂信さんといえば、アニメ化された『氷菓』や映画化された『インシテミル』の方が有名かな。

 個人的には米澤作品のなかでは『追想五断章』を推したい。作中に5つの《作中作》が登場するのんやけど、これがとても痺れた。著者は天才かと打ちのめされた。

 大学生活とか、就職活動に失敗した人であれば、作中の主人公のやるせなさに非常に共感してしまうのではないかと思う。もちろん本筋は《謎解き》であり、そのなかで主人公の人生は物語の枝線に過ぎないのだけれども「主人公になりきれない主人公」の描き方がほんとに心に沁みる。

 思えば『インシテミル』の主人公も、わりと主人公になり切れていない感じがあった。「自分の人生の主役は俺自身だ!!」と胸を張って言える人は少数派で、多くの人々(主語が大きすぎる! えーい、私のことだよ!!)は「自分は所詮、凡人で脇役で、どうしようもない雑魚キャラだ……」といった葛藤を抱えて生きている。

 追想五断章の主人公は、(探偵役でありながらも)そんな凡人でも共感し自己投影できるキャラで、良かった。

3.バイロケーション(法条遥)

 法条遥さんは、うちが現在もっとも注目しているホラー作家のひとり。彼女(彼?)の著作はぜんぶ読んだ。人を選ぶけれどもとてつもない中毒性がある。

『バイロケーション』は、第17回日本ホラー小説大賞受賞作。

 賞投稿時のタイトルは

『同時両所存在に見るゾンビ的哲学考』

(出版時に『バイロケーション』に改題されたが、個人的には元のタイトルの方が好き。

 とにかく、同時両所存在に見るゾンビ的哲学考!!!!!

 このタイトルに心惹かれた人は、間違いなく本書を取って後悔しない。特に、小説を書いたり絵を描いたりする人(プロ志望)には限りなくおすすめできる。

 今までに読んだすべての小説のなかでもベスト10に入る作品。

 題材は『ドッペルゲンガー』

 なぜ私が、小説を書いても書いても万年一次落ちなのか、どうして私はこんなにも暗い人生を歩んでいるのか、その答えが本書には書かれてある。といっても自己啓発書ではなく、本書はホラー小説なのであるが……。

4.存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ 訳:西永良成)

 私が生涯のうちに読んだ全ての書物のなかで、もっとも深く精神を揺さぶられた書。

 千野栄一訳と西永良成訳の2つが出版されており、訳者によって文体のテイストがかなり変わってくる。(のでお好みで。私は河出書房新社の西永良成訳が気に入っている)

 作中冒頭でいきなりニーチェの永遠回帰の話が出てくるので度肝を抜かれるかもしれないが、とにかく読み進めて欲しい。読み終えた頃にはセカイが変わっている。そして実存的恐怖(自分が今ここに存在しているという恐怖)に打ち震えることだろう。


存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

5.ドグラ・マグラ(夢野久作) 

 脈絡のない読書紹介が続く。

 ってあれ、気がついたら途中で文体が変わってたわ。

 アハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。

『ドグラ・マグラ』は、日本三大奇書のひとつで、読むと発狂するとか何とか言われている。

 でも安心してほしい。本書は純粋なる推理小説であり、読んでも決して気が狂うことなどない。(今ここにいる《私》が誰なのか、という謎を解かない限りは)

 ただ夢野久作の文体は極めて破壊力が高いため、小説書きが読むと影響を受けてしまう危険性はある。


ドグラ・マグラ

6.Nのために(湊かなえ)

 これはドラマ化されて話題になってた作品。《作中作》の痛い感じが好き。ミステリ。

 湊かなえさんの著作を読んだことのある人なら知ってると思うけれども、彼女の作品は非常に後味が……、……。そこが病み付きになるのやけども。


Nのために (双葉文庫)

7.薬指の標本(小川洋子)

 小川洋子さんといえば、芥川賞受賞作の『妊娠カレンダー』、そして映画化もされ本屋大賞に選ばれた『博士の愛した数式』を書いた人。

 短篇集のなかでは『薬指の標本』が好き。わりとホラーテイストな話。

 文章が感動するほど美しい。美しすぎて痺れる。恋してしまう文体である。


薬指の標本 (新潮文庫)

8.断章のグリム(甲田学人)

 ライトノベルのなかで、最も崇拝している作品。もちろん、全巻読んだ。

 容赦の無いホラーである。そして作中世界のあまりもの恐ろしさに、(現実世界の私は)救われた気分になる。

 ヒロインの女の子は、炎の能力を使って襲い来る敵と戦うことになる。これだけならよくある話で「灼眼のシャナかな?」と思うのだが、その能力の発動条件がとんでもない。

 ヒロインは常にカッターナイフを持ち歩いていて、自分の手首をリストカットした《痛み》を条件に、能力を発動するのだ。

《私の痛みよセカイを焼け!!!!》みたいなことを言って、ヒロインは手首をカッターで斬りつける。ほんとにもう恐ろしい話だ。

 なお、作中では《グリム童話》に関する雑学が散りばめられていて、純粋に面白い。


断章のグリム〈1〉灰かぶり (電撃文庫)

9.ハーモニー(伊藤計劃)

  劇場アニメ化されるそうだが、まず原作を読んでおきたい。(原作派はいつだってこのように言うのだが、しかしハーモニーは小説媒体で読むからこそ良い気がするのだ)

「虐殺器官」と「ハーモニー」のセットで語られることも多いが、作品は独立していて、どちらを先に読んでも構わない。私的には「ハーモニー」の方が好きで、その理由の多くは作中にかわいい女子高生が登場するからである。

「虐殺器官」「ハーモニー」の両作とも純粋なSF小説で、それぞれ別方向のディストピア世界が描かれている。どちらの世界であっても、それは架空であって架空ではない、我々の生きる現実世界の本質的恐怖を抉っているところが、ホラーなのである。


ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 10.さみしさの周波数(乙一)

 ホラー作家のなかでは一番好きなのが乙一さん。短篇集なのでサクサク読めると思う。「さみしさの周波数」は比較的恐怖レベルの高い作品。あとは「ZOO」「GOTH リストカット事件」「失はれる物語」とかもおすすめ。

 乙一さんの描くホラー作品の特徴は、怖さだけでなく切なさがあるところ。ホラー小説なのに読後感が悪くなく、なぜかイイハナシダナーと思えてしまったり、ふと涙が溢れてしまっていたりする。

 この《切なさ》の持ち味こそが、最大の魅力であると感じる。ミステリーではないものの、乙一といえば《ある種のトリック》を非常に得意とする作家さんで、一度ハマれば病み付きになること間違いなし。


さみしさの周波数 (角川スニーカー文庫)

11.スリープ(乾くるみ)

 同著者の「リピート」「セカンド・ラブ」「イニシエーション・ラブ」も良かった。

 上記の著作も合わせて共通するのは、ミステリー×ラブを融合させたアイロニカルな味を持つ作風であることだ。

 肝心なのは「ラブ」の部分で、恋愛描写が半端無くうまい。(それでいて本格ミステリとラブストーリーを絡めてしまうのだから脱帽である)

 恐らくこれほどの筆力があるのであれば純粋な恋愛小説を書いても相当な傑作が生まれそうなのに、あえてそうはせずに、ひねくらせてミステリーを捩じ込んでくる感じ、好きだ。


スリープ (ハルキ文庫)

 12.残像に口紅を(筒井康隆)

 昔は小説家といえば畏敬の存在であった(?)のに、今では「ふっ、これなら俺が書いた方がうまい!!」などと曰う傲慢な私が増えてきた。

 本書はそんな自惚れた作家志望に鉄槌を下す、至高の一冊である。

 もう本書を読んでしまえば、小説家に頭を上げて歩くことなんてできやしない。ただ地面にひれ伏すまでである。

世界を観測するのは《私》であるが、世界を言い表す語彙の数が、人それぞれ異なるのであれば、私は筒井氏と比べて何と色褪せた世界で暮らしてゐるのだらうかと。この小説を読んで本当に恐ろしくなつたのは、自分自身の「欠落」を自覚させられたからである。

 私が当時読書メーターに投稿した感想。

 恐ろしい恐ろしい。


残像に口紅を (中公文庫)

まとめ

なんですかこの統一感のないまとめ……。

あと文体が途中で変わってますよ……。

ええのええの。

小説の巧拙にジャンルは一切関係ない。

面白いもんは面白い、それだけや(キリッ

 

 今週のお題「読書の夏」

(おわり)


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