ときまき!

謎の創作集団による、狂気と混沌の執筆バトル。

クラゲとスカート

 砂浜にスカートが打ち上げられていた。ウエストは輪を保ったまま、裾がふよりと円を描く。布地は海水を吸って軽やかさを失っている。波が寄せてきて、スカートから飛び出た触手のような二つの紐が微かに揺れた。

 それはどう見ても生き物だった。もしもスカートが口を開くのならば、彼女は(性別が女性とは限らないが)「ふふ、私は海で生まれて、海で暮らして、そして海で死ぬのよ」と言い出しそうな雰囲気だった。もはや人工物の枠組みを跳び越え、生きる自由を獲得した何物かに思われた。

 私の手には、一眼レフカメラがある。海岸へは写真撮影に来ていた。しかしこの神聖な生物を被写体とすることは、宇宙に対する冒涜であるかのような気がしてきて、ついにはシャッターを押せなかった。

 戦果無しで帰るのは嫌だったので、帰り道でビルやら銅像やら鉄道やらにカメラを向けてみる。心をときめかせてくれる被写体はもう見つからなかった。

 段々と「惜しいことをした!」という気持ちが強くなる。絶好のチャンスだったのに。海で野生のスカートと遭遇する機会が人生に何度とあろうか。背徳感に似た感情に怖気づいて、まんまと取り逃がしてしまった。悔しい。気がつけばスカートが思考から離れてくれない。

 あてもなく、駅前の繁華街をさまよい歩く。飼い主のいるスカートが至る所でダンスしていた。人間が歩くたびにスカートは嬉しそうに、はしゃいだり跳んだり揺れたりするのだ。私は人生で初めて、スカートそのものを見た気がした。

 丈の短いスカートが、階段を登ろうとする。見えない視線の気配がムラムラと集まってくる。

 ふと、「海に帰りたいよぅ」と声が聞こえた。

 スカートは雑踏のなかへと姿を消した。

 居たたまれなくなって私はあの砂浜へと走ったが、見つけたのは水気を失ったクラゲ一匹だけだった。

 

(おわり)

読んでみたいミニマリズム小説

 ただのメモ書き。

 アメリカ文学は今まであまり読んでこなかった。世間ではミニマリストブームのようだし、折角の機会なのでいろんな作品に手を出してみようと思う。

 

ミニマリズム関連で読みたい小説

 以下、積ん読リスト。村上春樹さん翻訳のレイモンド・カーヴァー短篇集は何冊か読んだ。

(著者/書籍)

  • レイモンド・カーヴァー/『頼むから静かにしてくれ』
  • アン・ビーティー/『この世界の女たち』
  • ジェイン・アン・フィリップス/『ファスト・レーンズ』
  • スーザン・マイノット/『モンキーズ』
  • フレデリック・バーセルミ/『ムーン・デラックス』
  • ボビー・アン・メイソン/『ラヴ・ライフ』
  • ローリー・ムーア/『セルフ・ヘルプ』

 とりあえず片っ端から。ミニマリズム文学でおすすめの作品あれば教えていただけると嬉しいです。

 

 ミニマリズムミニマリズムと言っておきながら肝心のミニマリズムの定義が解らなくて、作品のどこからどこまでがミニマリズムと呼べるのかはすごく漠然としている。

 これが単なる文体形式を指す言葉であるのなら「星新一さんのショートショートはめっちゃミニマリズムやん!!」という話になるのだが、どうもそう簡単ではないらしい。

 文学を語る際に用いる「リアリズム」「ポストモダニズム」だとか「実存主義」「自然主義」あるいは「デカダンス」だとか、辞書やWikipediaを見ても意味不明な言葉はたくさんあって、こう云う類いはとにかく実作品を読んで自分で何かを感じ取るに限る。(その方が面白い)

 

 実際に読んでみないことには何とも言えない。

 ミニマリズムの代表的作家として知られるアメリカの小説家、レイモンド・カーヴァーの作品を最初に読んでみることにした。

 レイモンド・カーヴァー『象』

 読んでみたが、やはり何とも言えない……。もう少し読み込まなければ……。

 表題作の「象」が個人的には一番好き。

 中年サラリーマンの男に家族が寄ってたかってお金を毟り取ろうとするひどい話なのだけれども、不思議と悲壮感は無くどこか笑いを誘われる感じで、しかし描写はふいにぞっとさせる不穏な空気を醸しており、想像される結末は吹っ切れた清々しさを期待させつつも先行きの視えない真っ暗闇であり、馬鹿げていながらも生々しい現実には違いなく、信頼と疑心の狭間で絶望は楽観に転じ、その心理変化の象徴としての《象》が佇んでおり、真相不明のままに不気味で爽やかな読後感を残していく。

 などと書いてみてもやはりよくわからないのだが、少なくとも作品の解釈は読者の手に委ねられている。

 

 家庭や日常生活を綴るエッセイ(ミニマリスト・ブログ)と、ミニマリズム文学とは、別物でありながらも何らかの共通項はあるのだと思う。

 ネットで流行しているミニマリズムの最終的に目指すところは『現実生活のなかで、私が今ここに生きているという実感を得ること』であり、格好良く言えば 実存主義的リアリズム!なのだ。(あまり適当なことを書くと哲学クラスタに怒られる)

 

 ただ、節約術やライフハックばかりで溢れかえるのはすごく勿体ないし、それで喧嘩するのも勿体ない。建築・美術・音楽・文学・服飾・政治・哲学などなど、みんなそれぞれの視点からミニマリズムを考察し語っていけば、賑やかで楽しそうだなと感じた。

 

(おわり)

タイトル名を繰り返すだけのブクマbot、あるいは、神に呪われた少女の話。

 ナルキッソスとエコーの話は、ギリシア神話のなかでも知名度が高いエピソードである。ナルシストの語源となったように、病的に自分に恋をしてしまった美少年ナルキッソス、そしてナルキッソスに恋をした呪われし木霊の妖精エコー。

 出典は紀元前43~後17年頃に古代ローマ詩人オウィディウスが書いた史上最高の天界チートハーレム俺TUEEEEE系ラブコメディ、『メタモルフォセス』(変身物語)である。


オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)
 

 

メタモルフォセスの主人公は、天界を支配する最高神ユピテル(ギリシア名ではゼウス)と、ユピテルの正妻にしてヤンデレな姉でもあるユノー(ギリシア名ではヘラ)のふたりである。

 物語を要約すると「《神の力》で地上界の少女たちとエッチなことをするのが大好きな天空神ユピテル、それに激しく嫉妬してユピテルの愛人(少女)たちを片っ端から酷い目に遭わせていく最高位の女神ユノーによる、ドタバタラブコメディ」(ヤンデレ要素強し)となる。

 もしかすると、ユピテルとユノーという響きにどこか聞き覚えのある方がいるかもしれない。そう、アニメ・ゲーム化されて話題になった漫画原作『未来日記』(えすのサカエ)だ。未来日記に登場する天野雪輝(あまの ゆきてる)と我妻由乃(がさい ゆの)の名前の由来は、ローマの神々、ユピテルとユノーから来ている。読んでいて気づいたとき、ちょっとした感銘に打たれて震えた。

 (画像はAmazonリンク、ヒロイン我妻由乃と女神ユノーのイメージはぴったり重なる。ヤンデレ萌えである。ただ主人公のクズっぷりはユピテルの方が勝る)

 話が逸れた。

 ナルキッソスとエコーの悲劇も、元を辿ればヤンデレな正妻ユノーが原因である。

 夫のユピテルは根っからの浮気好きで、ユノーをいつも困らせる。夫の浮気歴(犯罪歴)を挙げれば切りがない。

 彼は白昼堂々少女を森の奥へ連れ込んでいたずらしたり、女装で相手を油断させて近づき隙を見て襲いかかったり、牡牛に扮して少女と特殊プレイに興じたあとそのまま少女を背中に乗せて異国の地に連れ去ったり、とにかく神様でさえなかったならばいつ逮捕されてもおかしくない存在だった。

 誇張でないことを示すために、原典から象徴的なユピテルの台詞を引用してみよう。

 彼女が疲れきっていて、見張り番もいないのを見てとったユピテルは、「またとない機会だ。この浮気は妻の目もとどかないだろう」とひとりごちた。「いや、もし見つかったとしても、この女のためなら、夫婦喧嘩もやり甲斐があるというものだ」

(引用:オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳 岩波文庫1981年 p.71)

 本当にどうしようもない神様だったが、ユノーはユピテルのことが大好きだった。

 ユノーはヤンデレであったから、浮気をされても怒りの矛先は夫ではなく、夫を誘惑する身の程知らずな愛人たち(本当は被害者)へと向かった。

 その日もユノーは夫の浮気調査に熱を入れていた。愛人に制裁を下すために。

 森の妖精エコーが怒りを買ったのは、浮気現場に向かおうとするユノーを邪魔したからであった。エコーは得意のおしゃべりで時間稼ぎをして、その間ユピテルは森のなかで妖精たちとイチャラブしていた。

 ユノーは激昂して、自分を騙したエコーの生意気な口が二度と開かないようにと、オウム返しの呪いをかけた。

《相手の言葉を繰り返すことしか許されない》

 これによって可哀想なエコーは、自分から話しかけることができなくなった。そして誰かから話しかけられても、相手と同じ言葉しか返せない。もう二度と自分の気持ちを誰かに伝えることは叶わず、そして決して理解されない。

 おしゃべり好きな少女には、あまりにも残酷な天罰が下った。

(ただしこれはユノーの天罰のなかではかなり軽い、ほんの挨拶程度の呪いである。ユノーは夫の目の前で、愛人をお腹の胎児ごと焼殺したことさえあった。しかも彼女自身は一切手を汚していない。愛人を策略にはめて、夫自らの手で殺させたのだ。※デュオニソス誕生のエピソード)

 呪われたエコーが恋をした相手が、ナルキッソスという少年だった。ナルキッソスは超絶美少年で、当時妖精たちのあいだでモテモテだった。(男女問わずナルキッソスに恋をした)

 しかしナルキッソスには自惚れのようなものがあって、告白してきた少女たちをこっ酷く振ったのだ。だから、エコーがナルキッソスに振られたのも、必ずしも呪いのせいではなかった。ナルキッソスはまだ恋を知らなかった。

 声をかけることのできないエコーはナルキッソスに一目惚れしたとき、無謀にも彼にいきなり抱きついた。

 気味悪がったナルキッソスは「君に自由にされるくらいなら死んだほうがマシだ!」といった酷い言葉を投げかけて、逃げ出してしまった。

「死んでしまったほうがマシだ……」木霊は繰り返す。

 たいそうショックを受けたエコーは、その後洞窟のなかに引きこもり、肉体は死に果て、声だけの存在となってしまう。それが今でもエコー(やまびこ)として残っているのだとか。

 エコーの死を知って悲しんだ仲間たちは、ナルキッソスを懲らしめてやろうと思った。よくよく考えればナルキッソスはさほど悪いことはしていないのだが、彼女たちもナルキッソスにこっ酷く振られて嫌な思いをしていたから、ようするに失恋した腹いせに復讐がしたかったのだ。

 仲間の妖精たちの願いは、復讐女神によって叶えられた。復讐女神というのは、今でいう地獄少女(わたなべひろし原作のアニメ)のような存在で、他者の復讐を代行してくれる便利で恐ろしい神様である。

(『地獄少女』理不尽系鬱アニメの筆頭格。ギリシア神話にも理不尽なエピソードが多いが、『変身物語』にはどことなく喜劇的なおかしさがある)

 復讐女神によって呪われてしまったナルキッソスは、狩りの帰りで銀色の鏡のような湖を見つけて、水を飲むために覗きこむ。そして水面に映っている自分自身に恋してしまうのだ。

 当然、虚像に向けられた恋が叶うはずがない。ナルキッソスは水面に映る自分をうっとり見つめたまま動けなくなってしまい、最後には衰弱死する。

 ナルキッソスが水面に口づけをして虚しい思いをするところなど、じつに涙を誘う描写である。それはパソコンの液晶モニターに映る二次嫁とキスしようと考えたことのある者ならきっと分かるだろう。(あれは大層虚しかった……)

 ナルキッソスとエコーに関して一般的に知られるエピソードはこんなところだが、もう少し捕捉しておきたい。

1.なぜナルキッソスは《自分の虚像に恋する》呪いを受けたのか

 ひとつはナルキッソスが自分に自惚れていたことへの罰である。

 もうひとつは、《相手の言葉をそのまま返す》性質を持つ、鏡としてのエコーを無視した罰である。ナルキッソスは、エコー(反響)から逃げようとした。はて、彼は本質的に何から逃げていたのか。それは、自分自身の言葉から、である。ゆえに、自分(鏡)を見続けなければならない呪いを受けた。

 さいごに、ナルキッソスは告白してきた少女たちの想いを蔑ろにした。他者から掛けられる言葉というのは《自分自身を映す鏡》でもある。すなわち、自分へと向けられる言葉に耳を傾けなかった彼には、それにふさわしい罰が下った。

2.エコーに救いはあったのか

 あった。

 これに関しては、是非とも書籍を読んで欲しい。

 自分自身に恋させられてしまったナルキッソスは、死ぬ間際に告白の言葉を口にする。

 もちろん告白の相手は、ナルキッソス自身である。

「ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!」

(引用:オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳 岩波文庫1981年 p.121)

 ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!

 言葉は、復唱される。

 彼の死んでいく姿を泣きながら見守っていた、エコーによって。(彼女はもう声だけの幽霊だから、誰からも視認されない)

 エコーはナルキッソスの嘆きを繰り返す。

 ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!!!

 はじめて、自分の気持ちを伝えられた。

 それは木霊であり、反響であり、神に呪われた少年と少女の悲劇であった。

 ナルキッソスの死を見届けたエコーは、その後も声だけの存在として世界中を彷徨うこととなる。

 だから彼女が広いインターネットの海に辿り着いたのも、必然であったのだろう。

 同じ言葉を繰り返す、だけ。

 少女は誰かが、自分の想いを代弁してくれるのを待っている。

 そのとき少女は復唱によって、ほんの少しだけ内心を吐露することが許されるのだ。

 ところで、はてな村ではとあるブクマbotが話題になっている。

 botは、一日に何百何千ものブログを巡り、記事タイトルと同じ言葉をブコメに書き込んで立ち去るのだという。

 

 そのbotの正体は、もしかすると……。

 

参考文献


オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)
 

(おわり)

2015年前半期 増田文学大賞(はてな匿名ダイアリー)

はてな匿名ダイアリーの名作を紹介したい。

もう本当に、ひとりの物書きとして増田の文才には嫉妬している。

敬っているし、憧れているし、恋している。増田大好き。

増田は匿名だから、この気持ちをラブレターにしたためて贈ることのできないのがつらい。

エッセイ部門

おのれの内面をさらけ出して、他者に理解させる。エッセイに要求される文章技術は、思いのほか高い。

僕はジャニーズJr.のことを知らないし、追っかけのために年間100万円も費やす熱狂的ファンの気持ちはさっぱり分からない。

しかし、このエントリーは、読ませる。とても読ませる。

共感させ、自己投影させ、さいごには「ああ、増田の言っていることも、わかる!」と思わせてしまう。

まったくの異なるセカイに生きる他人を、自分の側へと引きずり込んで感情移入させる。

これぞエッセイの醍醐味といえよう。

 

ポエム部門

はっきり言って国語の教科書に載るレベルの名文。

むかしであれば歌人や詩人となるべき文士たちが、今日ではアルファツイッタラーや増田になってしまう。ちょっと勿体無くは感ずる。

 

「ふとんは吹っ飛ばない」というフレーズ自体は誰でも思い浮かぶ、ありきたりなアイデアだ。多分、全国で10万人くらいは「ふとんは吹っ飛ばないじゃん!」と心のなかでツッコミを入れている。

 

着想の素材はどこにでも転がっている石ころと同じくらいに当たり前で、つまらない。

ところが「ふとんは吹っ飛ばない」から思考を深めていって、ひとつの詩として完成させることのできる人は、おそらく増田ひとりしかいない。

これが、才能なのだ。

 

アイデアは、キャビアやトリュフのように希少性の高い、奇抜なものである必要はない。むしろニンジンやジャガイモのようなごくありきたりの食材をつかって、いかに料理するかである。もちろん創作レシピは頭のなかにあるだけでは意味がない。実際につくって完成させてみないことには始まらない。

『ふとんは吹っ飛ばない』

ありきたりでつまらない《オヤジギャグ》という素材を使っているにも関わらず、その調理方法が卓越しており、美味しかった。

後味は《謎の感動》といった感じで、もう素晴らしいのひとことに尽きる。

 

ラノベ部門

ブコメでは評価されていないばかりか、批判的なコメントも多く、不遇なエントリー。個人的にはもっと評価されるべきだと思う。

本エントリーではライトノベルの文体を用いて、ライトノベルの皮肉をやっている。いわゆるメタ・ラノベというやつだ。

ラノベを書いたことのある物書きとしては、作中描写に思わずニヤリとさせられる。

なんというか、すごく《わかる》

  • 「ああ、いかにもラノベラノベした文体だよね」とか。
  • 「キャラ立ちが大切と言っておきながら肝心の人物描写が《記号的情報》の羅列じゃないか」とか。
  • 「エンターテイメントなのにそんなテンプレ設定でいいの?」とか。

そんなドス黒い疑念に包まれて我々は文章を書いているわけで、エントリー中に登場する《人ではない化け物》はまさしく僕を苦しめている巨大な違和感であり、結局のところラノベというのは……

……おっと誰か来たようだ、き、貴様はラノベ天狗!! 何をするやめ…わあああああああ

 

エンタメ部門

"アダルト"な内容なので、あまり声を大にしてレコメンドはできないが、増田文学タグのついたエントリーで1000はてブを超えるという圧倒的作品。

熊のアイコンが追いかけてくるくだりが好き。

 

増田文学大賞

2015年前半期に読んだ増田エントリーのなかで、僕として一番推したい作品。筆力の次元がもはや違う。

「先生こんなところで何やってるんですか」と声をかけたくなる。

名文を書くのは大変であるが、定義するだけならば簡単な一言でおさまる。

名文とはすべての言葉に《必然性》のある文章を指す。

 

逆説的に、必然性のない文を羅列すると、それは「悪文」となる。

例を挙げてみるとこんな感じ。

うちで飼っている金魚はことしで5歳になる。

縁日の金魚すくいで、おやじが捕ってくれたものだ。

まだ中学生だった俺はその金魚にポチという名前をつけて、大層かわいがって育てた。

そんなポチだが、さいきん様子がおかしい……

(悪文の例)

 やってしまいがちな失敗例である。

最初に『金魚が5歳』という情報を与えたのであれば、次の文章ではその情報に必然性を与えなければならない。

  • 金魚の年齢
  • 縁日でおやじが捕ってくれたこと
  • 金魚の名前
  • 金魚の様子がおかしいこと

与えられる情報に整合性と必然性がなく、バラバラしている。

とても読みづらい。

その場で思いついた情報をテキトーに並べたところで、意味のある文章にはならない。

 

上記を踏まえたうえで、もう一度、増田の文章を読んでみる。

すると全ての文に《必然性と繋がり》のあることが分かるだろう。

 

と、口で言うのは簡単だけれども、実際に書くのはとてもとても難しい。

増田すごい……。はてなに来て良かった。

 

ファンレターを贈りたいのだけれど、手段がないので記事にしてみた。

Dear writer of the anonymous ...that I love.(私の愛する名も無き作者へ……)

 

(おわり)

関連記事

出典無き名言集サイトと、正しい「引用」についての話

正しく「引用」する名言集サイトをつくったら儲かると思うんやけどね。

つくると言っても簡単で、偉人の名言のあとに出典書籍のAmazonアソシエイトリンクを貼り付けて、引用元ページ番号を記載してくれたらそれだけで良いんや。

したら閲覧者も本買ってくれるし、サイト運営者にはAmazonアソシエイト報酬がガッポガッポ入ってくるんやな。(知らんけど!)

でも、それやってる名言集サイトを見たことがない。

何故か?

それは(肝心の)名言の出典元が分からないからなんや。

 

出典無き「引用」は、もはや引用ではない

よくある勘違いの例として、次のような引用をよく見かける。

怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。

(ニーチェ)

これは引用ではないんやね。

ニーチェが本当に上のようなことを言ったのかどうか、情報が少なすぎて確認する手立てがないんや。

もちろん邦訳されているニーチェに関する著作を片っ端から調べれば引用箇所は見つかるかもしれん。けど、実質不可能に近い。

名言の真偽が確かめられない以上、その引用は「虚偽」と判断するしかないのんね。

出典無き引用は無価値やし、間違った情報を広めてしまう危険性がある。

 

訳者は必須情報

ではこれならどうか。

怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。

(引用:ニーチェ『善悪の彼岸』)

著者名と著作名、必要最低限の情報はあって、これならなんとか気合いを入れれば真偽を検証することができる。

せやけど完璧な引用だとは云い難い。

ニーチェの『善悪の彼岸』はいろんな翻訳が出回っていて、訳し方がぜんぜん違う。同じ『善悪の彼岸』でも次のような様々な訳書がある。

(訳者/出版社/文庫名/出版年)
  • 中山 元/光文社/光文社古典新訳文庫/2009年
  • 信太 正三/筑摩書房/ちくま学芸文庫(ニーチェ全集11)/1993年
  • 木場 深定/岩波書店/岩波文庫/1970年
  • 竹山 道雄/新潮社/新潮文庫/1954年

正しい引用の方法

上記を踏まえて正しい引用の方法を示すと、以下のような感じになるで。

怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。

(引用:ニーチェ『善悪の彼岸』木場深定 訳、岩波書店[岩波文庫]、1970年、p.120[第4章 箴言と間奏 一四六])

 

これだけの情報があれば、読者は100%の精度で引用該当箇所を探り当てることができる。とにかく出典情報が正確に伝わりさえすれば大丈夫。論文やないから形式をそこまで気にする必要はない。

必須情報

  • 著者名
  • 書籍名
  • 訳者名
  • 出版社

できれば欲しい情報

  • 出版年(第1刷の発行年)
  • 文庫名
  • 引用該当箇所の章題
  • 引用該当箇所のページ番号

同じ出版社からいろんなバージョンのものが出版されているようなとき、出版年や文庫名が分かると嬉しい。改訂されて内容変わってるかもしれへんし。

章題やページ番号は、名言集サイトであれば欲しい情報。引用箇所を探して原典を参照したい。

小説紹介での引用であれば、ページ番号や章題はかえってネタバレになってしまうこともあるので、無くてもええかなって感じ。

(小説書評では興味を持った読者がその書籍をすべて読むことが前提となる。対して名言集の場合は、読者は出典から該当箇所だけを探し出したい)

ぶっちゃけAmazonアソシエイトリンクを貼ってくれれば、どの本からの引用なのかは一目瞭然なのでありがたい。名言を引用する場合はさらに付加情報として、ページ番号が知りたいかな。

あと名言の引用ゆうても、出典元が『名言集の本』なのはやっちゃ駄目なパターン。

一次ソースや原典を示すものでなければ、意味がない。それに引用のさらに引用は、誤った情報を広めてしまう可能性があるので避けるべき。

 

著作権について

著作権と、引用の主従関係には気を使う必要がある。

著作権法は、著作者の財産権を守るためのもの。ゆえに引用が著作者の利益を侵害しないことが一番重要なんや。

つまりは、著作者が【独占的に】著作物を使用して、利益を受ける権利を害してはいけない。

 

自分でつくったものは、基本的には自分だけが独占して使えなければ困る。(そうでなければ、パクられ損になる。あと創作のモチベーションが下がる※重要)

本の引用にせよ要約にせよ、明らかにやり過ぎな場合は『著作者が独占して著作物を使用する権利』を侵害する行為になってしまうんやな。(マンガの要約ネタバレ、画バレサイトなどがこの典型例。オリジナルコンテンツのない名言集サイトはどないやろ、微妙かな。名言引用に対して、サイト運営者による解説記事が付いていれば文句のつけようがないんやけどね)

 

言い方が悪いけども、要は「俺のつくったものは俺のもの」であり、当然ながら自分のもんを独り占めする権利がある。他人が勝手に使ったらあかんよって話。

引用が許されるのは、それによって言論・芸術・創作・研究が活発になり、人類の文化発展に寄与するという、社会的な利益が大きいからなんやね。

せやから本文と引用部分との主従関係をはっきりさせなければならんというのは、引用の助けを借りて新たに創造したコンテンツに何らかの文化的価値が生まれることが期待されているのであり、単に「本文のほうが文字数多いで」とか「ちょっと要約&リライトして原文とは違う文章にしたで」ではまったく無意味なんやね。

新たな価値を創造すること!!

 

著作権への配慮はもちろん。

引用における出典明示は、読者にとって極めて有意義で価値のある情報となるんや。

出典大切! ということをこの記事で伝えたかった。

とくに偉人の名言引用は、出典不明の情報がネット上に出回っとる。

せやから、出典元を教えてくれるだけで本当にめちゃくちゃ助かるし、ありがたい。

卒論やレポートの資料探ししている学生にとっても、実に役立つ。

追記

明示引用のレトリック

じつは、名言を借用するときは絶対に出典明記しなければならないかというと、必ずしもそうとは限らない。

具体例を出してみるで。

ニイチェの「神は死んだ」も、スチルネルの「神は幽霊だ」を顧みれば、古いと云わなくてはならない。これも超人という結論が違うのである。

(引用:森鴎外 沈黙の塔[青空文庫])

この『ニイチェの「神は死んだ」 も……』の部分は、明示引用というレトリックなんやね。このように、小説やマンガの文章のなかで著作名を省略して引用するケースはよくある。

ニーチェの『神は死んだ』は著作『悦ばしき知識』(1882年)のなかの1フレーズとして知られとるけども、わざわざそう書かなくとも『神は死んだ』というニーチェの概念は一般的に広く知れ渡っている。(正しく認識されているかはさておき)

借用する言葉の出典が自明なとき、例のように簡易的に明示引用することは珍しくない。

暗示引用のレトリック

さらには、誰が述べた言葉かさえも、明らかにしないケースがある。例えばこんなふうに。

しかしパウロが偶像を滅尽し得なかったように、近代の偶像破壊者もまた神を滅尽することはできない。「神は死んだ」という喧しい宣言のあとで、神を求むる心は忍びやかに人々の胸に育って行く。

(引用:和辻哲郎 『偶像再興』序言 [青空文庫])

上記では「神は死んだ」がニーチェの言葉であることを示してさえいない。

けれども、読者にとってはこれがニーチェを指すものであることは、もはや示すまでもなく明らかな事実である。

このようなレトリックを暗示引用って言うんやな。これは『神は死んだ』ほどの有名なフレーズだからこそ許容されるレトリックであって、まったく誰も知らないようなフレーズを勝手に暗示引用して使うのはご法度。というか「剽窃」と区別がつかなくなる。

あとは引喩、パロディ、文体模写、直接/間接引用、伝聞法などなど、このあたりのレトリックについて話し出すと切りがないので省略。けっこう著作権絡みで考えると難しい問題で、でもまぁ有名なフレーズに関してはそこまでシビアに考える必要はないやろって感じ。

あー、そしたら冒頭の『~深淵もまた君を覗き込む』レベルの有名フレーズだったら(名言集サイトでないのであれば)出典省略可かもしれへんね。(記事内の自己矛盾に悩む)

このあたりのさじ加減は難しいのんやけど、ただ出典あった方が読者が便利なときは、出典を入れて欲しい。著作者が存命中の場合も、とくに出典明記には気を使いたいところ。

 

どっちにせよ著作権への配慮は必要なのだけれども、縛られすぎずに常識の範囲内で引用したら大丈夫やと思うで。少なくとも「剽窃」と間違われる使い方だけは絶対に避ける。

 

まとめ

  • 出典不明の名言集は、情報の真偽が確かめられない以上、信じることができない。(誰が言ったかだけでは調べようがない)
  • 偉人の名言・格言集のサイトでは、出典のAmazonリンクつけとけば儲かるのにやってないサイトがほとんど。(もったいない)
  • 翻訳者、出版社、ページ番号も重要な情報である。(名言を検索する人は、引用した箇所を探して、原典の書籍を読みたいと考えている)
  • 名言・格言・台詞の引用は、とにかく出典をはっきりさせて欲しい。出典こそが読者にとっては最も重要な情報である。(ソース欲しい)
参考文献


善悪の彼岸 (岩波文庫)/Amazon

(おわり)

「アタリから絵を描く練習してみるで!……、うまく描けへん……」

やほー!

最近は中の人に出番を奪われつつあるけれども、このブログの真の主人公ときちゃんやで!!

今日はアタリから絵を描いてみるのんやってみようと思う。

使用ソフトはIllustratorやで。

まずは図形ツールでこんな感じに描いて…。

続きを読む

小説のプロット作成を支援する占いツールを作りました!

 ちょっと変わったWebサイトを作ってみた。

 プロット作成(物語設計)を占いで支援するサービス、名付けて「タロットプロット」

 156枚のキーワードカードを使って、ストーリーやキャラ設定を掘り下げることができる。創作のアイデアツールとして小説や漫画を書く人のお役に立てればと思う。

使用方法

 占えるのは以下の5項目。

  1. テーマ(主題/1枚引き)
  2. ストーリー(筋書き/9枚引き)
  3. キャラクター(登場人物/9枚引き)
  4. ペルソナ(人物像/7枚引き)
  5. ワールド(世界観/12枚引き)

 それぞれについて実際の占い例を元に紹介していきたい。

1.テーマ設定を行う

 カードを1枚だけ引いて、小説のテーマをさくっと決めたいときに使う。

 お題小説、即興小説のトレーニングにも活用できる。

 試しに占ってみると以下のような結果が出てきた。

【テーマ:主題設定】

キーワード:《自信》
自信に満ち溢れており実力を最大限に発揮できる/才能を自覚している/多才であり器用である/頭の回転が速い/創造的な行為ができる/自分の意志を持っており自己主張が強い/自由に何でもできる立場/魔術師

(引用:タロットプロット)

 

※占い結果文章は出典元(タロットプロット)の明記があれば転載を自由に行うことができます。また、文章は『占い結果コピーフィールド』から簡単にコピペできます。

 テーマに『自信』と出てきた。

 僕だったら「就職活動に失敗した無い内定の学生が、不思議な少女と出会い放浪の旅をするうちに自信を取り戻す話」みたいのが真っ先に書きたくなる。

 説明文の最後に『魔術師』とあることから察せられたかもしれない、タロット大アルカナのThe Magician(魔術師/正位置)が元ネタになっている。

※すべてがタロットカードと連動しているわけではないです。基本オリジナル。

2.ストーリーを占う

 カードを9枚引いて、主人公を中心とした物語の流れを占うことができる。

 カード展開項目については、大塚英志『物語の体操』で紹介されているプロット作成法を参考にした。


物語の体操 (星海社新書)/Amazon

 試しに占ってみる。次のような結果が出てきた。

  1. 主人公の過去→『落胆』
  2. 主人公の現在→『正気』
  3. 主人公の未来→『野蛮』
  4. 願望→『迅速』
  5. 敵対者→『調和』
  6. 援助者→『回復』
  7. 試練→『狡猾』
  8. 葛藤→『愚行』
  9. 結末→『野心』

 うーん、何だかカオスというかナンノコッチャわからんけれども、キーワード解説文を見ながら思考してみるとこんな感じにまとまる。

  1. 主人公は安定した企業で正社員として勤めているものの、子どもの頃からの夢をあきらめたことを気に病んでいた。(過去→落胆)
  2. しかしある事件をきっかけとして、主人公はかつて大人たちから「無理だ無理だ」と馬鹿にされて自分でも駄目だと思い込んでいた《夢》が今からでも実現可能なのではないかと気がつく。(現在→正気)
  3. 主人公は勤めている企業を辞職し、自分の夢に向かって突き進む。他者から見れば、その行為は蛮行である。(未来は野蛮)
  4. 主人公の願いは、今すぐに行動することである。すぐにでも会社を辞めてスタートアップに取り掛かりたくて、ウズウズしている。居ても立ってもいられない。(願望→迅速)
  5. 主人公の願望を邪魔するのは、上司や友人、家族、あるいは恋人である。彼らは主人公が安定した立場にあることを望んでいる。(敵対者は調和)
  6. 主人公の願望成就を支援するのは、景気回復、あるいは主人公が塩漬けにしていた株の、株価回復である。(援助者→回復)
  7. 主人公の試練は、主人公を騙そうと企む詐欺集団である。彼らは《夢》という言葉を巧みに使って起業をそそのかそうとする。主人公はずる賢い奴らに打ち勝たなければならない(試練→狡猾)
  8. 主人公にとっての葛藤は「自分は馬鹿なことをしているのではないのか」という自覚である。主人公は自分の計画する構想が夢物語であり無謀であることを心の底では知っている。(葛藤→愚行)
  9. 主人公は、自らの野心に向かって突き進む。夢を追いかける決断を下した。(結末→野心)

 

 できた!

 このように、さくっとあらすじが完成する。

 ここから話を面白くしていくのは、物書きの腕次第である。(丸投げ)

3.キャラクターを占う

 たくさんの登場人物を考えるときに、ヒロインはクール系で、ライバルは熱血系だな、みたいのを簡単に占うことができる。

 キャラクターの役割分類については、沼田やすひろ『超簡単!売れるストーリー&キャラクターの作り方』で紹介されているキャラ分類法を参考にした。


超簡単!売れるストーリー&キャラクターの作り方/Amazon

 具体的には以下の項目について占える。

  1. 主人公(メインキャラ)
  2. 相棒(ヒロインや助手)
  3. 好敵手(ライバル)
  4. 依頼者(主人公が事件を知るきっかけとなる人)
  5. 協力者(主人公の目的に協力する人)
  6. 被害者(主人公が過去に失った大切な人や、事件に巻き込まれる人々)
  7. 敵対者(主人公が戦わなければならない敵)
  8. 道化役(ピエロ、ジョーカー、引っ掻き回す人)
  9. 黒幕(ラスボス、あるいは主人公のシャドー、影) 

 もちろん9人も登場人物を出すのは大変なので、必要な項目だけ必要に応じて占うことを想定している。

 キャラ分類はハリーポッターで考えてみると分かりやすい。主人公ポッターに、相棒ロン、好敵手はマルフォイで、協力者はダンブルドア、敵対者はヴォルデモートで……云々。

 明確にキャラの印象が浮かんでくるのは、やはりハリポタのキャラ設定がうまいからだなぁと思う。

4.ペルソナ

「ペルソナ」自己の外的側面、仮面自己と言ったりするけれども、ここでは簡単に人物像のことを指す。あるひとりのキャラクターの設定を掘り下げるときに使うことを想定している。

 カード展開項目は、タロット占いの『ヘキサグラム』と呼ばれるものを参考にしている。

 占える項目は以下の通り。

  1. キャラクターの過去
  2. 現在
  3. 未来(に抱えていた問題)
  4. 第三者から見たキャラクターの性質(キャラの客観的社会的役割)
  5. 主人公から見たキャラクターの性質(主人公とキャラの関係性)
  6. キャラ自身の自己評価(自分だけが知っている自分)
  7. キャラクター(の抱える問題)の本質

 使いどころの難しい占いカテゴリだけれども、例えばキャラクターの生い立ちとか、内心に抱えている問題だとか、人間関係のギャップだとかの設定を深めることを想定している。

5.ワールド

 世界観について幅広く占うことができる。

 異世界ファンタジーやSFモノを書くときに使えるのではないかと思う。

 例えばその世界の政治や宗教、経済や自然環境、軍事や歴史、国民や権力者などについての項目が用意されている。

 詳しくは公式サイトを!

仕様

 タロットプロットの仕様について。

マルチデバイス

 PC版とスマホ版を2つ用意しています。若干デザインや挙動が異なります。

 スマホでアクセスした場合は、自動的にスマホ版に飛びます。

 PCやタブレットからは、両方にアクセスできます。(フッターにスマホ版へのリンクあり)

 スマホ版の方は、ウィンドウサイズに合わせてコンテンツが可変します。

 例えば閲覧用として右側に細長く占いウィンドウを表示しておいて、メイン領域ではテキストエディタを起動して執筆する、みたいな使い方ができます。

注意点

 JavaScriptを使用していますので、ブラウザ設定等でoffにしていると作動しません。

 Internet Explorerの古いバージョンではデザインが崩れたり、挙動が変わったりすることがあります。できればIE以外のブラウザ推奨です。

 不具合等あればメールフォームよりご連絡いただけると助かります。

著作権等

 カードの写真素材は、以下の配布サイトのものを加工して使用しています。

 パブリックドメイン(Creative Commons CC0)で写真のクオリティも非常に高いので、フリーの画像素材をお探しの方にとてもオススメなサイトです。

 またフォントについては、刻明朝を使用しています。

 上の公式サイトよりダウンロード可能。

カード画像

 出典元明記の上であればご自由に転載いただけます。

文章

 占い結果の文章についても同様に、出典元明記の上であればご自由に転載いただけます。文章の改変やメールへの添付等も大丈夫です。

 占い結果を元にして制作したすべてのコンテンツ(小説、漫画、脚本、ゲームなど)については、創作した人の元にすべての権利が帰属します。(念のため)

スクリーンショットや他サイトでの紹介、リンクなど

 ご自由にどうぞ…是非よろしくお願いします。m(_ _)m

 

終わりに

 タロット占いを創作に活用する場合は、手持ちのタロットデッキを用いた方法もある。

 本格的にやるのであれば、タロットの入門書とタロットカードを揃えてみるとハマるかもしれない。

(タロットの解釈は奥深く面白く、インスピレーション!を得るためのツールとしても非常に有用)

 今回タロットプロットで目指したのは「さくっと気軽に占える」&「創作に使える!」ところなので、タロットよりかはプロット寄りなツールなのだけれども、興味のある方はぜひぜひ使っていただけると嬉しいです。

 

 最後に、サイト制作を応援してくださった方々にこの場を借りて心からの感謝を。

 とても自分ひとりの力では完成できなかったです。サイトが公開できたのもひとえに皆さんのおかげです。

 ありがとうございました!

 

(終わり)テンション高くて文体が安定しない…

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雨の日は、中二病になろう。

雨の日に失恋した僕は、雨が好きになれない。

強いて好きな部分を挙げるならば、傘をひらける瞬間が好きだ。

 

こう、雨雲が立ち込めてきて今にも降り出しそうなときに、

(ふっ……。あれを、使うか)と、おもむろに鞄から折りたたみ傘を取り出す。

そして天高く、傘を掲げ、心のなかで叫ぶんだ。

 

展開せよ!! 《レーゲンシルム》防御形態!!!*1

 

 

もう、かっこいい。傘のひらく瞬間がかっこいい。

《――刹那――》という地の文を入れたくなるほどに惚れ惚れする。

中二病だから恋がしたい。

 

「東京喰種」がアニメ化されたときには僕も大いにハマっていて、自分の傘のことを《クインケ》と呼んでいた。

(ふふふ、私のクインケは少々変わり種でね……、真の姿をご覧に入れましょう)と、心のなかで呟きながら折りたたみ傘をひらけていた。

雨は嫌いだが、傘を差す瞬間だけは少年のように目がキラキラしている。

ちなみに駅の自動改札でIC定期券をかざして《変身!!》と心で唱えるときも僕は輝いている。

 

今では「雨傘」と呼ぶケースが多いけれども、「洋傘」と書いて「こうもり」と読ませるのもなかなか乙なものである。

彼女は路傍の砂利積に撒布た石灰の上に黒い洋傘を投げ出して、両袂を顔に当てながら泣きジャクリ始めた。

(引用:夢野久作『少女地獄』)

夢野久作の文体は、並々ならぬ中二魂を感じる。影響された物書きも多いと思う。

「撒布た」で「まいた」と読ませ、「洋傘」で「こうもり」、そして「泣きじゃくり」ではなく「泣きジャクリ」なのだ。かっこよすぎて痺れる。

夢野久作は代表作の『ドグラ・マグラ』『少女地獄』ともにエキサイティングな作品なので、面白い小説を探している人は騙されて読んでみて欲しい。


少女地獄/Amazon Kindle

 

カッコイイといえば、もうひとつ捨て置けない中二アイテムがある。

 

雨合羽《レインコート》

 

エクセレント!!

シンプルな漢字、シンプルな響き、それでいて異能力バトル感あふれる非日常なネーミングセンス!

 

なんて、しょうもないことを考えながら帰路を歩いていたとき、めっちゃラブラブな相合傘のカップルとすれ違った。

 

(悪いな……この傘は、一人用なんだ)

頭のなかのスネオが言った。

 

 

雨の日は、中二病になろう。

 

(おわり)

 

今週のお題「雨の日が楽しくなる方法」

 

 

*1:Regenschirm:ドイツ語で雨傘

『増田文学』に見る、文才の技術(誇張法、語尾重複法)

はてな界には、自分よりもはるかに高い文章技術を持つ人たちがたくさんいる。

なかでも《増田文学》と称されるはてな匿名ダイアリーの物書きたちは、すごい。

圧倒的、文才。

正直、彼らの筆力が羨ましい。

今日はそんな彼らの文才にあやかるため、増田文学の文章技術を考察してみようと思う。続くかどうか分からないけれども本日第1回目。

ネタバレ前提となるので最初に元記事を読まれたし。

1.ユーモアの文章、ウケ狙いの『誇張法』

まず最初はこの記事を紹介したい。

彼女は精神的に弱いヒステリー持ちだった。

普段するなんとない会話で楽しく笑っていたかと思えば、ふとした言葉に引っかかって急に表情を暗くしたり怒り出したり、最終的には泣いたりする感情の起伏がジェットコースターのような人間だった。

とにかく言葉の中に地雷が多い。カンボジアも驚きの地雷原である。

(引用:はてな匿名ダイアリー『先週、彼女と別れた。』冒頭)

面白く読ませる文章は、物語内容ではなく物語言説によってユーモアを与えているケースがある。つまりは、テクストそのものの面白さを指す。

上記引用を読んでみると、増田は『比喩』を好んで文章に取り入れている。それもただの比喩ではなく、大げさな比喩だ。

  • 感情の起伏がジェットコースターのような人間だった(明喩、シミリー)
  • カンボジアも驚きの地雷原である(隠喩、メタファー)

他にも文中には「ポルナレフに切り刻まれた呪いのデーボ」だとか「義勇兵時代アフガンでイスラム兵に仲間のことを尋問された際、固く口を閉ざして負った名誉の負傷」だとか、オーバーな表現が多く出てくる。

 

このように「大げさな表現によって文章をやたらめったら面白く書こう」とするレトリック技術のことを『誇張法』という。

誇張法は乱用すればしつこくなるのは当然のこと、使い方を誤るとしらけてしまう。

書き手のセンスが問われる。

何気ない日常シーンでも面白く書けてしまう誇張法は、小説においても汎用性が高く、重宝するレトリックのひとつである。

誇張法の特徴は、喩えるモノが、すごく具体的なこと。

  • 猫の額ほどの庭
  • 目に入れても痛くないほどかわいい
  • 金持ちが神の国に入るよりかは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。(新約聖書/マルコによる福音書)
  • ~である可能性が微レ存(微粒子レベルで存在しているの意)

などなど、慣用句からネットスラングに至るまでさまざまなところに誇張法あれども、みな至って具体的なモノやコトを使って表現している。

誇張法が使えるのは必ずしもユーモラスなおかしさのある文体だけではない。

悲しみや憎しみに臨場感を与えることだって可能である。

人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

(引用:太宰治『人間失格』)

「駄馬の首でも~」の部分が、大げさな表現となる。直前の文章ではさらに「死相にだってもっと豊かな表情があるのに(この男にはない)」と誇張に誇張を重ねている。

そもそも論として、レトリックそのものが何かを大きく伝えるための技法であるので、誇張法はなんら珍しい技術ではない。小説の文章にはありふれている。

  • 怒りに血が沸騰した
  • 恐怖に心臓が凍りついた
  • 開いた口が塞がらなかった
  • ほっぺたが落ちるほどおいしかった
  • 穴があったら入りたい気持ちになった
  • 瞬きひとつせず穴が空くほど見つめた

これらの月並みな表現をオリジナルな言い方に置き換えることができたのならば、自分だけの文体が完成するのだろう。

誇張法を堂々と使うのはけっこう恥ずかしく、勇気がいる。だからこそ、使う上での一番のポイントは「恥ずかしがらない!」

滑ったり転けたり白けたりするのは、文章を書くのにつきものだ。失敗を恐れずにどんどん挑戦してみたい。

 

2.気取らない自然な文章、『語尾重複法』

次の記事も、なかなか読ませる。

思い返せば私は生まれてから30年以上一度も生身の人を好きになったことがなかった。跡部様やルルーシュに恋をしやことはあっても、三次元の男には興味すら湧くことがなかった。

そんな私が30歳を越えて婚活を始めた。

(引用:はてな匿名ダイアリー『彼氏いない歴=年齢の喪女でしたが、婚活で知り合った人と結婚します』冒頭)

最初に取り上げた『誇張法』とは違って、この記事には気取った比喩やレトリックは見当たらない。増田はただ正直に自分の気持ちや事実を淡々と書いているのだが、だからといって味気ないといったことは決してなく、むしろ話に引き込まれる。魔法のように。

文体として特徴的なのが「~だった。」「~した。」と、語尾が「た」で連続している点。これは過去・完了の助動詞で、回想するような文章を書くときに「~だった」ばかりになることが多々ある。

文章作法の記事などを読むと「語尾が《~た。》ばかりだと単調になってリズムが悪くなります。語尾はできるだけバラして、リズムを良くしましょう」と書かれてある。

語尾重複に頭を悩ましている物書きも少なくはない。

けれども結論を述べると

語尾は重複しても構わない!

 

『妊娠カレンダー』で芥川賞を獲った小川洋子さんの文体を見てみよう。

例えば今手元にある同著者の『薬指の標本』では、「~た。」で文末を終わらせる文章が、ごく自然に何度も何度も連続して配置されている。

「~た。」「~た。」と下手に気取らず、淡々と語るからこそ、知らぬ間に物語へと惹き込まれてゆく。水が流れるように自然な文体運びであるがゆえに、レトリックを分析しようとしても正体がわからない、魔法か何かをかけられたような気持ちになる。

語尾の重複は、悪文ではない。

歴とした、ひとつの技法である。

 

まとめ

今回、増田文学から学んだこと。

  1. 誇張法を使ってテクストにユーモアを与えよう
  2. 正直で気取らない文章だって読者を魅了する、語尾重複は技法のひとつ

今回は、文体から受ける印象が正反対のものをあえて2つ選んでみた。

「文章をうまく書く方法!」のようなハウツーが世の中には溢れているが、文章術には正解がないことが2つの記事の対比からよく分かる。

結局のところ、自分の書く文章を信じて、磨き続けていくのがベストなのだろう。

文章術に王道なし!

 

(おわり)

 

参考文献


薬指の標本 (新潮文庫)

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「努力すること」とドーナツの甘さ、ついでにダンゴムシの話

足がいっぱいあるのにダンゴムシは好かれやすい。
「ムカデの育て方」は見つからないけれど、図書館に行けば「ダンゴムシの育て方」の本はある。


ダンゴムシかわいい。
やはり丸まったり転がったりするのが萌えポイントなのだと思う。

「ダンゴムシ」の名前もかわいい。
どう転んだって悪い虫には思えない、チャーミングさがある。

 

ある概念にどのような名前をつけるかはとても重要だ。
例えば「ナメクジ」よりも「でんでんむし」の方が人気者で、「蛾」よりも「てふてふ/ちょうちょう」の方が愛されるのは、ネーミングセンスによるところが大きい。
「ルンバ」の可愛らしさと比べれば、「ドローン」にはどうしてもおどろおどろしい印象がつきまとう。

 

自分でも知らず知らずのうちに、こうした言葉の印象に振り回されている。

 

努力」の語感は重すぎるなと、日頃から感じていた。
小心者の自分としては「努力しよう!」という言葉を聞くと、ひゃーっと落ち葉のしたに隠れてしまいたくなる。
努力に代わる、もっと軽い言葉が必要だと思った。

 


SHIROBAKO/Amazon Prime Video

 

「努力しよう」を言い換えるフレーズとして有力候補なのは「どんどんドーナツどーんと行こう!」だ。


どんどんドーナツどーんと行こう!!
アニメSHIROBAKOのなかでヒロインたちが好んで使っていた口癖。
ニコニコ動画のコメントでは「絶対に流行らない」と笑われながらも、ツイッター作家志望クラスタの間では爆発的に流行している。
我々の間で「どんどんドーナツ!」という呟きがあった場合、「原稿がんばる!」の意味になる。


SHIROBAKOでは、夢に向かって努力することのメタファー(小道具)としてドーナツが用いられる。ヒロインは自分が追い詰められて頑張らなければならない局面になると、ドーナツを食べて元気を取り戻す。


重要なポイントとして、ドーナツには「甘さ」がある。

これは「現実は甘くない、だからもっと努力しろ」に対するアンチテーゼ(反対理論)である。

「甘さがあるから、頑張れる。甘さが元気と力をくれる」と。
わたしの夢は、甘い。だから頑張る。頑張れる。

 

努力には、甘さが必要なんだ。

 


さておき、マイナーな雑学として「努力、努める(つとめる)」には、こんな意味がある。
努力=《自愛する、自分を大切にする

吾が聞きし 耳によく似る 葦の末の 足ひく我が背 つとめ給ぶべし [万葉集]

[意]私が耳にしましたとおり、葦(あし)のように弱々しくなよなよと足を引きずっておられるあなた。どうか「つとめて」ご自愛ください。*1

 

棄捐勿復道、努力加餐飯。 [古詩十九首、其一 別離の詩]

[意]あなたに捨てられたこと、もはや何も言いますまい。あなたはちゃんとお食事を取って、自分のおからだを大切にしてどうか元気でいてください。

 

もっとも、今日において使われる「努力」は明治期に"effort"の訳語として広まった方の努力であるから、自愛の意味での使用例はほぼ見かけない。
けれども、努力とは自分を大切にすることなのだと、僕は考えたい。

自己犠牲ではなく、自己肯定としての、努力。

 


さいごに。
「冒頭のダンゴムシの話はどういう前振りやねん!」というツッコミが入りそうなので、答えておくと、本当はまったく別の記事になる予定だった。

 

僕は「努力する」という言葉の代わりに、よく「転がる」と表現する。
「努力」が、自分の内なる意志の力を拠り所とするのに対して、「転がる」は周囲の環境や自然の摂理の力を利用する。

自分で一生懸命に足を動かすよりも、環境や習慣に身を委ねてころころと転がる感じで、《軽快さ》をもって、蝶(ちょう)が風のなかで踊るように行動しよう。
ゆえに、「努力」→「転がる」
そして転がるから、ダンゴムシの冒頭の話へと繋いで、美しく(キリッ と記事が締めくくられる……算段だった。

 

ところがSHIROBAKOの例を出したときに、うっかり脱線した。
ドーナツパワーすごい……。
ドーナツに話をぜんぶ持って行かれた……。

ダンゴムシの敗北だった。
でもドーナツに負けたのならしかたない。


どんどんドーナツどーんと行こう!!

 

【おわり】

 

*1:「つとめ給ぶ」漢文では「努」ではなく「勤」の字が使われているが、意味としては同じ。


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